2006-11-01 [長年日記]
_ [Music] House On Hill / Brad Mehldau Trio
普段はぶうぶう文句を言いながらも、新譜が出ると律義に買ってしまうジャズメンが何人かいる。例えばキース・ジャレットがそうなのだが、メルドーもその一人だ。もちろんこの新作も出てすぐに買った。実は新録音じゃなくて2002年のエニシング・ゴーズ(ブラッド・メルドー・トリオ)の残りテイクらしいのですが…なお、日本盤には1曲ボーナスが入っています。四谷いーぐるの後藤雅洋さんもお薦め。
ちなみに文句と言っても大したものではなく、彼らの実力は十二分に認めた上での話だ。凄いことは凄いんだけど、どこか全面的に支持できないんだよなーと、自分で言うのも何だがイチャモンに近い。突き詰めれば好みの問題だからどうしようもないのだが、基本的に自己耽溺的というか、コアな部分で過剰にセンチメンタルというか、そういうものを体質的に受け付けないのだろうと思う。もちろん人によってはそここそが魅力だと言う人もいるだろうし、嫌いだと言う私からして聞けば納得させられてしまうだけの力が彼らの音楽にはある。十把一絡げの凡百ピアニストとは到底比較にならない。ついでに言うと実はビル・エヴァンスもそんなに好きではない(でもキースやメルドーよりは好き)ので、お前の駄耳には勿体ないと言われれば返す言葉もないのですが。
昔へぼピアノを弾いていたころ、知り合いのピアニスト(彼はプロのジャズピアニストになった)やベーシストが「メルドーは7拍子でオールザシングスユーアーをやっててすごいすごい」と騒いでいた。The Art of the Trio, Vol. 4: Back at the Vanguard(Brad Mehldau)が出たころだった思う(これの冒頭にそういう演奏が入っているので)。それを聞いたとき、確かに技術的に凄いのは分かるけれど、彼らが熱狂する理由がどうしてもピンとこなかったのだが、今になって思えば、私はテクニカルな意味での凄さ、超絶技巧にはあまり反応しない、不感症の人間なのだと思った。むしろ個人的には、目を瞠るようなテクニックの冴えの有無を問わず、演奏者が表現しようとしている、彼らが言いたいことの内実に惹かれるのである。もちろんキースもメルドーも言いたいことをきちんと持っているし、それを過不足なく表現するだけの技量も備えているので、まあ冷静に考えるとやっぱり言いがかりに過ぎないんですけど、でも好みじゃないんです、ハイ。ごめんなさい。
2006-11-02 [長年日記]
_ [Music] Live in Tokyo / Brad Mehldau
わざわざ後藤さんが反応してくださったのでメルドー話の続き。
このライヴ、実は最前列のしかも中央、すなわちメルドーのまん前で見ていました。といっても別に気合をいれてチケットを取ったというわけでもなくて、急に用事で行けなくなったという知り合いからチケット買い叩いたらたまたまものすごく良い席だったというだけなんですけど。まあ話の種にいっちょ見ておくか、というくらいの気分で。
今でもはっきり覚えているのは、メルドーがグールドばりに蒸しタオルを持って登場したこと。正直ちょっと演出がクサいなあと思いました。ただ、全体的にはエレゲイア・サイクル(ブラッド・メルドー)やトリオもののCDを聞いて勝手に想像していたほどゲイ耽美的という感じはせず、むしろヘルシーな印象でしたね。照明の当たり具合の問題かもしれないが。
ライヴ本編は、率直に言えば可もなく不可もなしだったような覚えがあります。今CDになったものを聞くとそれなりに聞きどころはあるのですが、その場にいて生で聞いてもあんまりピンと来なかった。技術的にも楽想もものすごくレベルの高い即興なのは明らかで、曲目もモンクからポール・サイモンまで幅広く、しかもすべて自家薬籠中のものにしている。でも、どこか生硬い感じがしてウキウキとした高揚感みたいなものはあまりない。ピアノソロに高揚を求めてんのかよお前という話もありますが。
で、これで話が終われば、やっぱお前メルドー嫌いなだけじゃんと言われてそれまでなんですけど、ここからが重要。
本編が終わって、アンコールになったのです。確か、拍手に促されて袖から出てきて一曲弾いてはまた引っ込むという感じだったと思う。レイディオヘッドの曲とか何曲か弾いたんだが、一番最後のアンコールでソングス:アート・オブ・ザ・トリオ Vol.3(ブラッド・メルドー/ラリー・グレナディア/ホルヘ・ロッシィ)でやっていたRiver Manを弾いた。これがものすごくよかった。涙が出るくらい。元々ニック・ドレイクの原曲が好きということもあるのだが、もうこれは超絶的に良かった。あまりにしびれたので、帰り道すぐさま友人に電話して感想をしゃべりまくるということまでしたのでした。私、これまでいろんなライヴ見ていますけど、終わってすぐ感動のあまり他人に電話するというのは空前絶後だったような気がします。見てもいないライヴの感想聞かされるほうは迷惑だったろうなあ。面白いことに、その演奏はCDにも入ってるのだけど、今聞いてもあんまりグッと来ない。たぶんその場の空気と私の意識が同調してたんでしょうね。むしろThe Art of the Trio, Vol. 4: Back at the Vanguard(Brad Mehldau)の後半、SolarとかExit Musicあたりの盛り上がりを聞くと、そのときの気分をかすかに思い出すことがある。
ということで、メルドーはあんまり好きじゃないというのは別に嘘ではないんだけれど、とても良い思いをさせてもらったこともあるので、なかなかミュージシャンの評価は難しいねというお話でした。
2006-11-04 [長年日記]
_ [Reading] 星降り山荘の殺人 / 倉知 淳
元はと言えばブックオフで買ったゾッキ本。この作者は例の猫丸先輩シリーズも書いている人だ。札幌への飛行機の中で読んでいた(というか読み終わってしまった)のだが、ラストはなかなかのどんでん返しで楽しめた。これ以上内容について何か書くと思わぬところでタネがばれてしまうかもしれないので、一切書かないことにしよう。
まあ、あざといと言えばあざといし、犯行の動機がやや唐突というか説得力がないので(おっと、でもこれくらいは書いても大丈夫だろう)、そこらへんで好みが分かれそうだが、入念に伏線を張っているから最後のどんでん返しでの「してやられた」感が深まるわけで、これは構成の勝利だと思う。なんというか、頭から尻尾まであんこが詰まっているたいやきのような、という分かるような分からないような形容がぴったりのお話。
推理小説の醍醐味は、作者が読者たる私たちをいかにうまくペテンにかけてくれるかという一点にあると私は思っているのだが、これなどはもうペテンもペテン、大ペテンである。それだけに読後感はうまくだまされたという気分で一杯、爽快きわまりない。
2006-11-05 [長年日記]
_ [OTP] CC-JPの役割
ここのところOTPのジャーナルをせっせと更新しているのだが(その理由はあまりにくだらないので言えない)、 こんなのを書いてみた。どう思いますか。
ちなみにレッシグ先生のインタビューは先方の回答待ちである。別に〆切は設定していないので気長に待つつもりだ。次のインタビュイーはもうお願いしてあるので、来週末くらいに質問受付を始めようと思っているが、今回もなかなか興味深い方ですよ。
2006-11-06 [長年日記]
_ [Life] リムジンバス (羽田空港→和光市駅南口・長久保・大泉学園駅北口)
最近開設された路線。今回帰りに初めて使ってみたが、空港から事実上D2Dで帰れるというのは快適だ。片道1300円なので電車とモノレールを乗り継いで行くよりも若干高いが、それだけの価値はある。誰も使わなくてすぐ廃線になるのではないかと思っていたが、案外利用者は多いようで、この日も席は半分くらい埋まっていた。それでも乗り換えなしで広々とした一人当りスペースを占有して行けるわけだからこれは楽だ。
高速バスというとやはり首都高の渋滞が気になるわけだが、今回のケースだと日曜の夜の便(19:55出発)で空港から美女木JCTまで35分、和光市まで45分、大泉学園には65分で到着といったところであった。なんで長久保発着の便があるんだろうと思っていたんだが、ようするに大泉学園通りの渋滞に巻き込まれたくないということなんでしょうね。ということで、この日もラスト1マイルならぬラスト1キロメートルでえらい混雑しました。ここだけで10分くらいかかったような。
2006-11-07 [長年日記]
_ [Music] Johnny Hodges With The Lawrence Welk Orchestra
最近ポール・モーリアが亡くなったが、ローレンス・ウェルクもモーリア同様、「シャンパン・ミュージックの王様」としてムード音楽界で確固たる地位を築いたひとである。甘い甘いやつ。でも、それはそれとして、ジョニー・ホッジズ・ウィズ・ストリングスというのはかなりそそられる取り合わせですよね。
あいにくパーカーやブラウニーのそれと違い、ホッジズは全然ソロを取っていない(テーマを吹いて軽くフェイクするだけ)のだが、ホッジズの魅力はあのなんとも言えない「美味しい」音(私はオーネットの次に美味しいと思う)にあるので、これはこれで良いんじゃないでしょうか。
甘いと言っても、ホッジズはいつも通りの揺るぎない吹きっぷりだし、アレンジはベニー・カーターやラッセル・ガルシア、マーティ・ペイチといった当時の(ジャズも分かる)一流どころに発注していて、一点もおろそかにしていない。たぶん、ウェルクのホッジズ、あるいはエリントンへの敬意みたいなものが良い方向に作用したんじゃないかと思う。ジャズが好きな人は馬鹿にして聞いてもみないだろうが(それに聞いたところで失望する可能性もあるが)、悪くないんですよ、こういうの。
2006-11-08 [長年日記]
_ [Music] The Real Birth Of The Cool / Gil Evans
1940年代のクロード・ソーンヒル・オーケストラの録音のうち、ギル・エヴァンスがアレンジを提供したのを中心に集大成したもの(1枚はスタジオ録音、もう1枚はラジオ放送用のトランスクリプション)。1950年代、若干落ち目になった後のソーンヒル楽団の様子はさよならバードランド―あるジャズ・ミュージシャンの回想 (新潮文庫)(ビル クロウ/Bill Crow/村上 春樹)に生き生きと綴られているが、この頃はソロイストとしてリー・コニッツやレッド・ロドニーら腕利きを揃えコーラス・グループまで擁していた絶頂期であり、ギルのスコアを最大限に生かした華麗な演奏を聞かせる。ソロイストに不要な枷を嵌めず、それでいてフレンチホルンまで加えたオーケストラならではの色彩の厚みを加えていくアレンジの冴えは、さすがモンクに「今まで聞いた中では唯一ほんとに良いビッグバンドだね」と言わせただけのことはある。チャイコフスキーのようなクラシック曲とビバップ曲をアレンジ対象として全く等距離に扱っているあたりもすごい。クールはマイルズの専売特許じゃないぞ、というタイトルの付け方も挑戦的だ(これは大昔に出た日本編集盤を踏襲したようですね)。なお、前掲書の訳者でもある村上春樹は、このあたりの録音をカセットに入れて仕事用のBGMにしていたらしい。私も最近そうです。
2006-11-09 [長年日記]
_ [Mingus] Music Written For Montrey 1965, Not Heard...Played in Its Entirety At UCLA, September 25, 1965 / Charles Mingus
通称「At UCLA 1965」として知られている作品。このクソ長いタイトルが原題である。元はミンガスの自主レーベルCharles Mingus Enterprisesからメールオーダーでのみ手に入ったもので、それっきり今まで今年になるまで40年間再発されたことはない(と思う)。もちろん初CD化。
経緯はタイトルに出ているとおりで、元々1965年のモンタレー・フェスティヴァルで披露するつもりで書き上げた曲とアレンジだったのが(前年同じフェスに出演したときの模様はミンガス・アット・モンタレイ(チャールズ・ミンガス/ジャッキー・バイアード/ロニー・ヒリヤー/ルー・ブラックバーン/ジョン・ハンディ/チャールズ・マクファーン/バディ・コレット/ダニー・リッチモンド/レッド・カレンダー)として、こちらはずいぶん昔からCDになっている)、フェス運営側から割り当てられた時間が短いと喧嘩になり出演拒否、フェスの翌週UCLAで改めて演奏した、というものである。録音はUCLAの大学スタッフ(学生?)が行ったもので、マイクの立て方など、正直言って素人レベルの仕事だ。おまけにどうもマスターテープも無くなっていたようで、このCD化にしても結局はLP起こしのようである。よって音質を云々するようなものではないが、一応リマスタリングは名人ジャック・タワーズが手がけているので、聞きにくいということはない。CDになっただけありがたいと思わなければなるまい。
内容はと言うと、ピアニストがいないのでミンガスが自分でピアノを弾く局面が多く、おまけにリハーサル不足でミンガス以外がとちったりよろよろしたりする部分も散見される。あまりに不出来なのでミンガス先生激怒のあまりステージからホーン陣を半分以上追い出したり、いかにもミンガスならではのワークショップ、公開リハーサルという感じのゆるゆるな代物だ。ただ、特にCD2枚目で顕著なのだが、全く予想外のタイミングで突然びっくりするくらいに高揚する瞬間が訪れる。こういうのを見せられると、やはりミンガスは格が違うと言わざるを得ない。
ライナーノーツが傑作で、ミンガス自身が描いた絶望的に下手な販促用(というか厳密には反ブートレグ)漫画が載っている。あまりに下手なので、プロがアメコミ風に描き直したものも載っている。いつも思うのだが、ミンガスの音楽は理解できますが、ミンガス当人の行動はいまもってよく理解できません。
2006-11-10 [長年日記]
_ [Mingus] Three Or Four Shades Of Blues / Charles Mingus
1977年3月の録音で、おそらくミンガスが自分でベースをまともに弾けた最後の作品。翌年も作品を残してはいるが、1977年秋に筋萎縮性側索硬化症と診断された後は急速に衰えたため、アレンジも指揮も他人に任せて自らは車椅子からセッションの様子を見守るだけという状態だったようである。ゆえに、この作品が事実上ミンガスの遺作と言ってもよいだろう。
レパートリは2曲が旧作、残りもブルーズともう新曲を書けるような体調ではなかったことを偲ばせるが(しかもベースのサブとしてジョージ・ムラーツが呼ばれている)、そこはそれ、ミンガスらしいひねりはちゃんと用意されている。フィリップ・カテリーン、ラリー・コリエル、そしてジョン・スコフィールドと当時注目を浴びていたエレキギターの若手を3人も起用しているのだ。
そこでミンガス・ミュージックとギターの相性という話になるのだが、これがなかなか良い。どちらも騒々しいから、というのが一番身も蓋もない説明なのかもしれないが、Better Git Hit In Your Soulなどコリエルがハマリすぎ。大傑作とは言えないが、ミンガスの音楽人生を締めくくるエピローグとしてはなかなかのものだと思う。
2006-11-11 [長年日記]
_ [Music] Camp Song / Ben Perowsky
以前(もしかすると今でも)、某ディスクユニオンに行くと必ずこのCDが投げ売りされていた。よほど売れなかったのだろう。私も確か吉祥寺のユニオンで500円か何かで買った。安かった。貧乏くさいガキどもが居並ぶ魅力に乏しいジャケで、なんだか相手から「買うな」と言われているような。
ジョン・ゾーンのTZADIKレーベルから出た「ラディカル・ジューイッシュ・カルチャー」シリーズの一枚なので、ユダヤ音楽を現代の耳で再解釈しましょう、というのがお題目である。ベン・ペロウスキはジョンスコやデイヴ・ダグラスと共演歴のあるドラマーで、一応彼のリーダー作ということになっているが、何も言われなければピアノのユリ・ケインがリーダーのようにも聞こえる。ベースのドリュー・グレスも含め、三人ともとにかくべらぼうに楽器がうまい。
ユダヤの子供たちがサマーキャンプで歌う、ユダヤの伝統的なメロディを様々な形で料理しているのだが、あえてそう意識しなければ、ものすごくよくできた現代的なピアノ・トリオものとして普通に聞ける。5曲めの疾走感などただごとではない。あの手この手でひねってはいるのだが、無理にいじりまわしているという感じを少しも与えないアレンジの冴えも凄い。日本人ピアニストが日本の民謡を取り上げて、これだけシャープで切れのある聴後感を日本人に与えられるかを思えば、その困難さは明らかだろう。と言っても、当のユダヤ人がこれを聞いてどう思うかは私には分からないのだが。
2006-11-12 [長年日記]
_ [Music] Music For Two / Bela Fleck & Edgar Meyer
バンジョーというとなんだか古くさいイメージがあるが、ベラ・フレックはバンジョーをブルーグラスやジャグバンドといったジャンルに縛り付けず、完全にギターと同列の一楽器として扱っている。なのでジャズでもファンクでもクラシックでもなんでも弾いてしまう。それだけなら大したことはないが、ノベルティと言うに留まらない音楽的成果を挙げているところが凄い。歴史をたどればバンジョーは三味線の遠い親戚なのだが(ほんとにそうなのです)、純邦楽以外の分野への三味線の進出があまり特筆すべき成果を生んでいないことと比べると、この人の偉さが際立つと思う。
このアルバムはベースのエドガー・メイヤーと組んだデュオのライヴ盤で、メイヤーもとんでもないテクニシャンだ。ピアノも結構うまい。2002年にRMSと同じマッカーサー財団のフェローシップを受賞しているくらいの人である。バカテクな人というのは結局早弾きができる自分に酔っているだけで、音楽としては曲芸という以上の深さは無いことが往々にしてあるのだが、この二人の場合超絶技巧がきちんと表現に奉仕している。なにせレパートリにバッハとマイルズ・デイヴィスが共存しているくらいでカテゴライズの難しい音楽だが、単純におもしろいのでクラシック・ファンもジャズ・ファンもロック・ファンも是非聞いてみてください。
2006-11-13 [長年日記]
_ [Music] Mirror Blue / Richard Thompson
フェアポート・コンヴェンションのギタリストであり、その後もギター職人として様々なセッションに貢献してきたリチャード・トンプソンだが、リーダー作に関して言えばこの作品が未だにベストだと思っている。理由は簡単、ミッチェル・フルームがプロデュースで、チャド・ブレイクがエンジニアだからだ。
別にプロデューサー信者というわけではないし、このコンビにしてもダメなものが皆無というわけではないが、ことこのトンプソンとの組合せに関しては実にうまく機能している。アーティストの個性を殺すか殺さないかの瀬戸際で、いわば色のついたセロファンをかぶせるような感じに独特の主張の強い音作りをするこの二人だからこそ、トンプソンの強固な音楽世界に異種のベクトルを持ち込むことに成功したのだろう。結果として、他のトンプソンのアルバムよりはるかに立体的な印象を受けるアルバムに仕上っている。
というようなことは個人的には実はどうでもよくて、天気の良い日にふとんを干すような晴れ晴れとした気持ち良さが味わえる2曲めが聞きたいばかりについつい手に取ってしまうというだけなんですが。歌詞はブラックだけど。
2006-11-14 [長年日記]
_ [Music] Don't Stop The Groove / Lyman Woodard Organization
1979年デトロイトのクラブから直送。ファンクと言えばファンクなのだが、若干フュージョンやブラコンの風味も混じっていて、まあ一言で言えば垢抜けない音楽である。そこがいいんだけど…。一応ライマン・ウッダードというオルガニストがリーダーで、ソロもいっぱい取るのだが、録音のせいかあまり前面にでしゃばるという感じがない。バンド全体が一丸となって、という感じがひしひしとする。一発モノを中心に適当に演奏しているようで、実は細かいアレンジの小技がいっぱい仕掛けてあるのもうれしい。ジェリ・アレンの師匠としても若干有名なマーカス・ベルグレイヴがトランペットを吹いている。
1979年というのは私が生まれた年だが、すでにモータウンは街を去って久しく、流行りから言ってもディスコやフュージョンが全盛だったはずのアメリカの片田舎で、こういうもう無意味に熱い(どちらかと言えば暑い)ことを毎晩やっていたんだなあと、妙な感慨に浸るのである。2曲めの手拍子もいいが、4曲めがエディ・ハリスが書くようなヘンテコな曲で最高。
2006-11-15 [長年日記]
_ [Music] Speak Low / Walter Bishop Jr.
キースもメルドーも大して好きではないとか言うとじゃあお前が本当に好きなのはなんだと言われそうだが、実のところそもそもピアノ・トリオという形式自体そんなに好きではないのである。パウエルやモンク級ならともかく、ピアノ・トリオ、それもECMあたりの奴や最近のニューヨークの若手とか、なんであんなに辛気くさいのかが私には分からん。弾いている連中はあれで楽しいのだろうか。なんとなく知り合いに大量に敵を作ってしまったような気がするが、でもホーンなりなんなりが加わってガンガン弾き倒している奴のほうが派手で楽しいじゃないですか。
そういう私が、無条件で支持するピアノ・トリオはたとえばこんなのだ。濁ったピアノに唸るベースにおかず満載のドラムス。コレですよコレ。
ところで、なんでこんな有名盤を今さら取り上げる気になったかと言うと、まあたまたま聞いていたというのと、Amazon.co.jpで調べてみたらどうやら今廃盤になっているらしいのですね。信じられん。こういうものを廃盤にしてはいけない。
2006-11-16 [長年日記]
_ [Music] Live At The Whisky A Go Go / Herbie Mann
ハービー・マンと言うととりあえずメンフィス・アンダーグラウンド(完全生産限定盤)(ハービー・マン/ロイ・エアーズ/ラリー・コリエル/ソニー・シャーロック/ミロスラフ・ヴィトウス)なのかもしれないし、ハードコアなジャズ原理主義者(そんなのが今どき生き残っているのかどうか知りませんが)は1950年代のフツーにいわゆる世間的なジャズをやっているやつやビル・エヴァンスとの共演作しか認めないとか言い出すのかもしれない。しかし、私にとって一番カッコいいハービー・マンはアトランティックの諸作、特にこれである。私が持っているのは昔出ていた日本盤CDで、今Collectablesから出ている輸入盤CDだとMississippi Gamblerという別の作品とカップリングされているようだが、ようするに最初の2曲です。2曲だけとは言え両方とも15分程度の長尺。
これは1968年、今も健在の有名クラブウィスキー・ア・ゴー・ゴーで行われたもの。ちなみに漫画しか読まない奴は日本にあると思っているかもしれないが、本物のウィスキー・ア・ゴー・ゴーはロサンジェルスにある。今も昔もここでかかるアクトの中心はロックであり、当時のマンの人気がジャズというジャンルをはみでたものだったことが如実に分かる場所設定だ。
このアルバムで素晴らしいのは圧倒的に1曲めのOoh Babyで、冷めているようで熱いサイケデリックな曲調がまず素晴らしい。暑苦しいスティーヴ・マーカスとクールなマン(とロイ・エアーズ)の対比がまた素晴らしい。粘っこいミロスラフ・ヴィトゥスが実は演奏全体をコントロールしていてこれも素晴らしい。ソニー・シャーロックは後年に比べれば案外普通だがまあ素晴らしい。手堅いブルーノ・カーはあまり目立たないが、当然素晴らしいんじゃないでしょうか。たぶん。
1曲めがやばいので2曲めは何度聞いてもあまり印象に残らないのですが、ルーファス・トーマスのヒット曲を下敷きに、全員がやりたい放題やっていて別に悪いわけではない。まあでも1曲めだけでもおつりが来ますよ。
2006-11-17 [長年日記]
_ [Music] Playback / Sam Lazar Trio
「プレイバック」と言うとどうしても山口百恵の専売特許のような気がするが、あれがあくまでプレイバック「Part2」なのはこのサム・レイザーの作品があるからだ。しかし、こんなものが20bitリマスターでCDになる日本はつくづく良い国ですね。
内容はもうブルーズで煮染めたようなオルガン・ジャズが40分弱という感じで、こういうものが好きな人間にとってはやや地味ながらたまらないものがあるのだが、好きじゃない人間にとっては「なんだこのイモどもは」ということになるのであろう。そういう方々にも神の祝福のあらんことを。若干私よりも少なめに。
それにしても、この後間もなく音楽シーンから消えたサム・レイザーはどうしているのだろう。案外シカゴ・ローカルでは健在だったりして。余談ながら、このジャケを見るたび音楽評論家の村井康司さんを思い出すのが我ながら不思議だ。ちゃんと見るとあんまり似ていないのだが。
2006-11-18 [長年日記]
_ [Music] Movies / Holger Czukay
ドイツのロック・グループ、CANのメンバだったホルガー・シューカイの最高傑作。これも廃盤のようで、Amazon.co.jpではふざけた値段がついている。困ったものだ。
フリーカルチャーがどうしただのクリエイティヴ・コモンズがこうしただのという話になるとすぐ思い出すのが、このアルバムの2曲めに入っているPersian Loveである。イランかトルコか知らないが、どこかそのへんからの短波放送で流れていた歌をシューカイがエアチェックして、それに他の出所が怪しい音源もミックスしいろいろ手を加えたものらしい(もちろんただ継ぎはぎしただけじゃなく、シューカイ独自の音も加えてある)。サンプリングというかリミックスというかサウンド・コラージュというか。もしかすると著作権の権利処理もドイツ風にすごい厳密にやったのかもしれませんが、まあおそらくはいろいろまずいでしょう。しかし、そういったもろもろが全くつまらなく思えるくらい、この曲にはシューカイのオリジナリティが刻印されていて素晴らしい。シューカイが今の日本に住んでいたらこの名曲は生まれなかったに違いない。ちなみに個人的には1曲めCool in the Poolのすっとぼけて醒めたエロい味が好きです。
というような話は割にどうでもいいのだが、CC-JPがワールドブログというのを始めたらしい。本家CCやiCommonsのブログ(の抜粋)の日本語訳だってさ。OTPのジャーナルにも書いたが、このところCC関係の日本語の情報源が少なかったので大変喜ばしい。ちゃんと続くといいな。
2006-11-19 [長年日記]
_ [Music] Un Poco Loco / Bobby Hutcherson
ジャイヴの帝王に「Saturday Night Fish」ナントカという名曲があるのだが、私はずいぶん長いことSaturday Night Fish Flyだと思っていた。ところが最近歌詞をちゃんと読む機会があって、実はあの曲はFry、魚の揚げ物(を食べるパーティ)についての歌だったことに気がついたのである。聞き流していると絶対に気がつかないのですね、こういうのは。
でも、「土曜の夜に魚飛ぶ」というのは、自分で言うのもなんだが、なかなか想像力を刺激するフレーズではなかろうか。fishという単語は単複同形だったりもするし。そういえばほんとに魚が空を飛んでいる変なジャケがあったな…と思って思い出したのがこれ。
まあ、そもそもイルカは魚じゃねえだろうとか言われると言葉もないのだが、このアルバムはへんてこなジャケに負けず中身も面白い。ヴァイヴ奏者、ボビー・ハッチャーソンが1980年に録音した作品だが、フュージョンはもう先が見えてきたけどウィントン・マルサリスはまだ出てきてない、というような端境期に生まれた、いかにも端境期らしい折衷的な作品だ。ジョン・アバークロンビーがギター、ピーター・アースキンがドラムスで、かつジョージ・ケイブルズがエレピを弾いたりするので、全体的にはフュージョンっぽさの漂う軽めのジャズという雰囲気なのだが、ハッチャーソンのソロには例によって手抜きがないし、取り上げているのが実はパウエルの「ウン・ポコ・ロコ」を筆頭に案外骨のある曲だったりして、メンツもちょっと変、曲目もちょっと変、ジャケはかなり変、という面白いものに仕上っている。そもそもタイトルの「ウン・ポコ・ロコ」というのは、ラテン語で「ちょっと変」という意味なんですと。割と気に入っていて良く聞きます。
2006-11-24 [長年日記]
_ [Music] Stockholm Sessions / Eric Dolphy
エンヤから出ているドルフィーのライヴ発掘ものは2枚あるが、どちらもなかなか良い出来だ。もう一枚というのはベルリン・コンサート(紙ジャケット仕様)(エリック・ドルフィー/ベニー・ベイリー/ペプシ・アウア/ジョージ・ジョイナー/バスター・スミス)で、別にこれも悪くはないが、個人的にはこのストックホルムでのライヴのほうが好みの曲が多いので良く聞く。エンヤの常でしばらく入手が難しかったが、つい最近日本盤CDで再発されたばかりだ。サイドメンは寄せ集めと言えば寄せ集めだが、皆そこそこの腕はあるので、ドルフィーの足を引っ張っているという印象はない。ドルフィー自身はあまりバックに気を使わず、自分のソロに集中して好きに吹いているようだ。
以下オタク話。このアルバムはディスコグラフィカルなデータの記載がむちゃくちゃで、曲名にしても1曲めのLossというのは本当はLes、2曲めのSorinoというのは正しくはSerene、AnnというのはMiss Ann、5曲めのAloneは当然マル・ウォルドロンのLeft Alone、Geeweeというのは(まあ読みはこれで合ってるから間違いと言うのは酷かもしれないけれど)G.W.、とほとんど全部間違いである。せっかく再発するんだから曲名くらい直せば良いと思うのだが。ちなみにピアノが2人記載されているが、Les、Serene(本テイク)、Don't Blame Meでピアノを弾いているのがクヌート・ヨリエンセンで、テレビ用に収録されたカルテット編成の音源。残りははルネ・エフヴェルマンがピアノで、アイドリース・シュリーマンがトランペットを吹いたラジオ由来の音源ということのようである。テレビやラジオが元だと言ってもエアチェックではなくマスターテープから音を採っているので、音質はとても良い。ヨリエンセンもエフヴェルマンも最近サバービア方面のおかげで日本では妙に有名になった地元スウェーデンのピアニストだが、特にヨリエンセンはなかなか達者なピアノを聞かせる。なお日時は1961年9月25日および11月19日とされることが多いが、これらはラジオやテレビで放送された日付なので、録音日としては1961年9月3日、4日、5日のいずれかが正しい。なので、実はコペンハーゲン録音のエリック・ドルフィー・イン・ヨーロッパ Vol.1(エリック・ドルフィー/チャック・イスラエル/エリック・モーズホルム/ベント・アクセン/ヨルン・エルニフ)、エリック・ドルフィー・イン・ヨーロッパ Vol.2+1(エリック・ドルフィー/ベント・アクセン/エリック・モーズホルム/ヨルン・エルニフ)、エリック・ドルフィー・イン・ヨーロッパ Vol.3(エリック・ドルフィー/ベント・アクセン/エリック・モーズホルム/ヨルン・エルニフ)よりも前の録音ということになる。
2006-11-25 [長年日記]
_ [Music] In Europe 1961-1964 / Eric Dolphy
最近は廉価で良質なジャズの輸入DVDが増えてきて喜ばしい限りだ。これも動くドルフィーが鮮明な映像と音で楽しめる。
このDVDの前半は1961年8月30日のベルリン録音。ようするに、CDではベルリン・コンサート(紙ジャケット仕様)(エリック・ドルフィー/ベニー・ベイリー/ペプシ・アウア/ジョージ・ジョイナー/バスター・スミス)の一部である。ドイツ、バーデン・バーデンのテレビ局SWFが製作して月2回放送していた有名TV番組「Jazz-Gehort und Gesehen」(Jazz-Heard and Seen)の収録で、ちょこちょこ出てきてメンバーや曲目を紹介する司会者はどこにも書いていないがヨアヒム・ベーレントだ。CDでは省かれたBlues in the Closet(ただしドルフィーは吹かない)も入っている。4曲めBlues Improvisationというのは間違いで、本当の曲名は定番の245ですね。CDでもこれはなぜかThe Meetingというタイトルになっていた。どうやら実際に放送されたのはDVDに収録された4曲ぶんだけらしいが、CDに入っている残りの曲に対応する映像はどうなったんだろう。
後半は1964年4月12日、オスロのアウラ大学におけるミンガス・ワークショップのライヴ。ジョニー・コールズが病気で倒れる前なので6人編成のセクステットである。ドルフィーの額のコブが無くなっているのが興味深い。この日はFables of FaubusやMeditations、Parkeriana(DVDに入っているOw!は同じ曲だが何故か途中でミンガスが打ち切った短いバージョン)も演奏しているが、映像が残っているのはどうやらDVDに収録の4曲だけのようだ。ジャキ・バイヤードが超絶秘技を繰り出して場を一人でさらってしまう場面(ミンガス大喜び)が何度もあっておもしろい。それにしてもドルフィーのパーカーの真似はぞっとするほどうまい。フレーズだけ真似るのはそれほど難しくないが、音色やリズム感も巧みに真似ている。パーカーの真似に関してはラサーン・ローランド・カークと双璧だと思う。
ちなみにリンク先のAmazon.co.jpにはリージョン1で北米オンリーと書いてあるが、私が持っているのはリージョン0、すなわち全世界のどのDVDプレーヤで見られる奴だ。リージョンフリーを出す一方でリージョンを指定したDVDも出すというのはあまり聞いたことがないので、Amazon.co.jpが単に間違えているだけではないかと思うが、不安ならばタワレコ等のレコード屋で確かめてから買えばよいだろう。
2006-11-30 [長年日記]
_ [Rant] 教育再生会議「心の成長」策提唱 「30人31脚」など
協力・助け合いの重要性を実感してもらうため体育の時間に「30人31脚」を行うことなどを提唱している。
協力だの助け合いだのの重要性を実感するのは、自分のやりたいことが自分ひとりでは達成できない、ということが身に染みて分かったときだと思う。
なので、クラス全員30人31脚が好きで好きでしょうがないというならともかく、大多数が30人31脚なんぞやりたくないという場合、そんな理不尽なことをやらされるだけも不愉快なのに、全員の足を引っ張るようなニブい奴がいた日にゃ袋叩きだろう。そもそも、トロい奴がいない方がずっと速く走れる、という身も蓋もない真実に気づいてしまった場合、いじめの引き金にしかならんような…。
_ 後藤雅洋 [どうも、いーぐるの後藤です。ブログ制作では本当にお世話になりました。メルドーってのは確かに「自己耽溺型」だし「センチ..]
_ mhatta [そうですね、自己耽溺は別にどうでも良いような気がしてきました。ナルシスティックで剥き出しにセンチメンタルなのが苦手な..]
_ 後藤雅洋 [知り合い同士でヨイショしてもしょうがないんだけど、「サックスならコルトレーンではなくドルフィー、ペッパーではなくコニ..]