2003-10-01 いい天気 [長年日記]
_ [OpenSource] 消すのはなおさら悪い
鐸木能光という人が朝日新聞で、東大が情報棟の端末をMacOS Xベースにリプレースという話にからんでひどいコラムを書いていたのだが、どうやら消されてしまったらしい。どういう風にひどかったかはを参照。
ちゃんと調べずに阿呆なことを書き散らすのも困った話だが、間違いを指摘されたからといってとりあえず削除というのも物書きのくせに情けない話ではないか。まったくもう。
しかし、先日の長尾たかしといい、この人といい、TRONとMSの大同団結(という表現はたぶん間違いなんだが)は世間の人の心の琴線に相当触れたようだ。そんなにTRONて一般的な知名度があったのかなあ。
2003-10-05 ねむい [長年日記]
_ [Sun Ra] Live at the Hackney Empire / Sun Ra and the Year 2000 Myth Science Arkestra
ロンドンのハックニー・エンパイア劇場でライヴ録音(正確にはドキュメンタリー番組用の録画も)された1990年10月のCD二枚組。録音レベルが低いので相当音量を上げないと細かいところがよく聞こえないが、一応まがりなりにもプロが録ったものなので音質的な問題はない。というのは嘘で、たまにハウったりしている。ふざけんな。
この年に入るとSun Ra(当時77歳)の体力的な衰えは顕著で、相当な高血圧 に苦しんでいたようだ。結局このライヴの翌月に脳卒中で倒れ、翌年2月には復帰していくつか作品を残したりツアーに出たりしたものの、ついに倒れる以前の覇気や妖気は戻らず二年後には地球を去ることになる。ゆえに、これがSun Raの事実上最後の雄姿を収めたものということになるだろう。
とはいえ、音楽的には晩期アーケストラ最良のメンツが揃っていて演奏内容もいいし、レパートリーも定番が並んでおり、聞きごたえは十分ある。個人的には、1枚目の最後を飾るFace the Musicを聞くとかなり幸せな気分になるのだが、これは私がSun Raに洗脳されてしまったからかもしれません。
2003-10-06 驚天動地 [長年日記]
_ [OpenSource] ご冗談でしょう、坂村健さん
あまりのことにびっくりして記事を書いてしまった。。最初私が勘違いしているのかと思って問題の記事をなんどか読みかえして見たが、いやはや。
というかこれは新手の釣りですか?
2003-10-07 Introspection / Retrospection [長年日記]
_ [OpenSource] 坂村健騒動
また例によってえらい騒ぎになっているようで恐縮の至りである。電波系から傾聴に値する批判までいろいろあって勉強になるが、以下の点は個人的にも疑問なので意見を聞かせてください。
gtk's memoのこのあたりなんだが、今回のような場合私は記事の裏取りまでやらなければならないんですかね?
私は、雑誌記事としてすでに一般に販売・公開されていて、かつ自分の発言が(地の文としてではなく)そのまま載っている(ように扱われている)ならば、その時点で批判の対象になってしかるべきだと思う。だいたい、世に出る前に記事内容をチェックしていないのはそれだけでも怠慢だと思うのだが。
もし発言内容に捏造があれば、それは書かれた当人が書いた人間に文句をつけるべきではないか。その上で、「いやあれは記者の捏造だったからお前の批判は撤回してくれ」と言うのであれば、私は喜んであの文章を撤回(というよりはたぶん後日談を追記すると思うが)する。だからこそ、わざわざ「公開書簡」と銘打ったのである。まあ、全然書簡体になってないのはかんべんしてください。
ということで反応を待っているのだが、こんな日記を見付けて、なんというか、坂村さんのみならず日本のTRON関係者(のたぶん一部だと思うけど)にがっかりする。議論する気がないなら構わないが、だったらGNU/LinuxをけなしてTRONを持ち上げるようなことをしなければいいのに。
まあ読んでもらえば分かることだとは思うが、あの記事を書いた直接の動機は怒りというよりも失望である。ああ、坂村健もFUDやるようになったのね、という。そのあたりの気分は、私の文章よりもたださんの日記がはるかにうまく表現しているように思う。
2003-10-08 いやはや [長年日記]
_ [OpenSource] 反省
今回の一件では反省することばかりである。
まず、大変なご迷惑をおかけすることになった坂村先生とOSDN、jlcのその他の執筆者の方々に心からお詫びしたい。たとえ私が依拠した『週刊ダイヤモンド』の記事が間違っていたとしても、非は事前に直接先生や『週刊ダイヤモンド』編集部に問い合わせなかった(加えて先入観に支配されていた)私が全面的に負うものである。
もともとあまり「物書き」という自覚がなかったので、それが脇の甘さにつながってしまったのだろう。非常に反省している。
「jlcを日記だと思っているのか」という批判を多く頂戴した。さすがにこの日記と同列とは思っていなかったが、それほど意識して書き分けてはこなかった。これも思えば問題だったかもしれない。また、私自身が非常に短気な性格なのも災いしたと言える。
jlcの記事はもともと、「私が読みたいもの」を書く、ということで、テーマや分量に何の縛りもなく、しかも不定期に書かせていただいているものである。このスタイルを崩すつもりはないが、今後は情報源の吟味にこれまで以上に留意して、私のみならず「皆さんの読みたいもの」を目指して書いていくつもりだ。
ちなみに、メールやこの日記へのツッコミ、リンク等で多くのご叱正、鋭い批判をいただいたことには非常に感謝している。偉そうな言い方になってしまって申し訳ないが、みなさんが私の財産である。今後もよろしくお願いします。
2003-10-09 [長年日記]
_ [OpenSource] 坂村健教授より来信
先日坂村さんにはお詫びのメールをお送りしたのだが、了解した旨丁寧なお返事を頂いた。こちらの誠意は十分伝わったとのことで、むしろ激励されて恐縮する。
2003-10-10 ねむい [長年日記]
_ [tDiary] antenna.lirs
antenna.lirsを用意しました。必要な方がいるのかどうかわかりませんが。
2003-10-13 すごいすごいすごい [長年日記]
_ [Music] Joe Zawinul & The Zawinul Syndicate@Blue Note Tokyo
某所で「来日中のザヴィヌルはとんでもなくすごい」という噂を聞きつけたのだが、なにせ彼はもう70だ。私はWeather Reportの熱烈なファンでもないし、そもそもじじいなので大したことはあるまいと思っていたのだが、いずれにせよ東京では今晩しかやらないとのことなのでのこのこ出かける。
ブルーノート東京は基本的に学生だと半額の4000円で見られる(ただし立ち見)。それを狙って行ったのだが、なんとあれは月から木のウィークデーのみのサービスとの由。その場で帰ろうとも思ったのだが、青山くんだりまで来てしまった以上そのまますごすご帰るのも業腹なので、思い切って8400円(消費税込み)払った。ちなみに財布の残金はこの時点で2000円くらいで、1ドリンク必須なので結局2000円を切ることになる。後でこの誤算が効いてくるとは。
すごかった。ライヴで感動したのは久しぶりだ。とんでもないノリ。完成度。もうね、何といいますか、たまりません。筆舌に尽くしがたい。ザヴィヌル以外は無名の人ばっかりなのに。見られなかった人は不幸だと自信を持って言える。というか、なんでこういうのをCDにしないんだ。
帰りは後藤雅洋さんや須藤克治さんといっしょに、すごいすごいすごいとうめきながら表参道の駅まで歩く。ザヴィヌル先生、恐れ入りました。
_ [Life] ささやかな冒険
ここまでは意気揚々、上機嫌だったのだが、渋谷に出て吉祥寺から帰ろうと思ったのが失敗だった。このような場合吉祥寺から家までは深夜バスを利用するのだが、日曜日は深夜バスがない。
そんなこととは知らなかったので呆然とする。普段は吉祥寺まで自転車で来るのだが、夜中に雨が降ると思っていたので今日は行きもバスだったのだ。タクシーを拾おうにも、残金が1000円くらいしかない。無理だ。
しかたなくとぼとぼ6kmくらいある道のりを歩き始めたのだが、途中で絶望感に苛まれてりんごジュースを買って飲んだ。これがまずかった。急激に腹が痛くなってきた。
以降ローカルな地名で恐縮ですが、武蔵関の近辺はどういうわけか便所のあるコンビニがない。ましてや公衆便所もない。人間はおもしろいもので腹が痛いとなぜか競歩のような歩き方になる。たいしてスピードは変わらないのだが。しかしここであきらめると森本さんの二の舞なので必死に耐える。
どうにか石神井台まで戻って来て、24時間営業のデニーズに駆け込んだ。便所に行って落ち着いてから注文すればよかったのに、なぜか「チョコレートケーキ」と口走ってしまう。戻って来ると山盛りのケーキが。
というわけで、朝の2時に石神井台のデニーズで、半分泣きながらチョコレートケーキを食ってる救いがたい馬鹿を見掛けた方、それはたぶん私です。
2003-10-14 多忙 [長年日記]
_ [OpenSource] 日経エレクトロニクス2003-10-13号
狼少年よろしくまたかよ!と思われそうですが、噂では今月のにまた卒倒するような記事が載っているもよう。今回は批判するにしろ何にしろ慎重にやります。というかまだ手に入れていない。
昼飯のついでに買ってきた。問題のSCOがらみの話に関しては、確かにこれはちょっとひどいように思うし、そもそも込み入った話でもあるので、もう少し裏をとってからjlcで反駁するつもり。むしろ*BSDな人が怒ってしかるべき内容ではないかとも思います。
それよりどちらかというと、p.210からの坂村健/古川享対談(聞き手=編集長浅見直樹)の一部のほうがショックが大きい。一応そのままここに引用しておいて、こちらも裏をとるつもりだが、「Linuxは敵ではない」と言っていた人にしては、ちょっとこれはひどすぎるんじゃないだろうか(強調は私)。
ーLinuxも、みんなで寄り集まって開発するオープンソースですが。
坂村氏 T-Kernelは間もなくソースコードを公開します。それはGPLではなく、僕ら独自のライセンス・ポリシーに基づくものです。Microsoft社もやはり、「シェアードソースライセンス」と呼ぶ独自のポリシーによってソース・コードを提供しています。T-EngineフォーラムとMicrosoft社はいずれも知的財産権の重要性を十分に理解し、ソース・コードの安全性を保証しています。どちらも安心して使えるプラットフォームといえます。一方のLinuxはどうですか。責任の主体がなく、ビジネスを全く理解しないでやりたい放題。その結果として、厄介な問題が実際に起きているじゃないですか。裁判の行方は分かりませんが、もめごとがあるというだけで技術進歩は停滞しちゃうでしょ。
_ [Music] Brother Meeting / Andre Condouant
いよいよ引越しの期日が迫って来たので荷作りに追われる。荷物は極力減らそうということで、CDを吉祥寺のディスクユニオンで大量に売りとばしたのだが、ふと下を見るとなんとあの(というほど知名度は無いと思うが)Brother Meetingが中古で転がっているではないか。CD化されたことがあるとは知らなんだ。ということで、せっかくCDを処分したのにまた買う(しかも中古なのに廃盤扱いで高い)という阿呆なことをやる。まあ、この手のものは当分再発されないのでしかたない。
中身は噂通り、地味ながらなかなか味のあるギター(音色的にはかなりWesの影響が強い)の好演で、いかにもマニア好みの作品だと思う。ちなみにAndre Condouantのなんていうものがあるようでびっくり。そもそもこいつの名前はいったいどう読むんだろう。コンダーン?
2003-10-15 多忙 [長年日記]
2003-10-18 [長年日記]
_ [Life] 高木浩光さんの批判に答える
高木浩光さんがで私のことを厳しく批判している。頷ける部分もあるが、承服しがたい部分もあるので、ここで反論しておきたい。
(ARTIFACTからお越しの方へ注意: 高木さんの批判(と私の反論)には、私が(ある種公の場として)コラムを書いているの記事への批判と、私がこのWeb日記や掲示板で書いた内容への批判が混在しています。ですから、Web日記全般に当てはまる話だとは思わないでください。)
まず頷ける部分だが、私がかつて書いたの出来が悪いのは事実だ。このときの私の批判は、おそらく佐藤一郎さんのへの本質的な批判にはなっていない。とはいえ、佐藤さんの文章が正しいのかといえばそんなこともない(今となっては、おそらく佐藤さんご自身もお認めになることだろう)。この問題に関しては、河邊径太さんによるが私のよりも本質を衝いていると思うので、ご一読をおすすめしたい。も併せてお読みください。
余談ながら、河邊さんのように直接私にメールで反応をくださる方はごくまれだ。そもそも、批判者を失った批判者ほど滑稽なものはない。私が読者からのフィードバックを大事にするのはそう思っているからだが、今後も読者のご叱正をお願いしたい。
さて、高木さんは、私が山形浩生さんの掲示板に書いたを、前後の文脈(後述)を全く考慮せずに引っ張って来て、以下のような批判(?)を加えている。掲示板や日記に書いたことをとやかく言われても困るという話はさておき、
これを見て、薄ら寒い思いがした。目つきのヤバい少年がナイフをシュッ・シュッと振り回しながら街を徘徊している情景が目に浮かんだ。
「目つきのヤバい少年」というのはなかなか秀逸な形容だが、私は見境いなくランダムに批判しているわけではないので、こういう言い方をされるのは心外だ。
日本ではそれがふつうなのかもしれないが、私は、書きっぱなし言いっぱなしは全く生産的ではないと思う。何かおかしなことを公の場で書くなり言うなりしたら、それが誰であっても批判されてしかるべきだ(もちろんこれは私自身に対しても当てはまる)。また、批判は一方通行であってはならないので、公開の場で、(第三者からを含む)反論を積極的に受け入れるような態勢で行われるべきだと私は考える。こういった開かれた議論が常に必要だと私は思うし、また現状まともな議論があまりにも足りないと思うのだ。まがりなりにも私はそれを実践してきたつもりである。それを「批判が自己目的化」などと誹られるのは遺憾だ。
ちなみに、私はある意味で「見境い」が無い。というのは、「身内」(というのも怪しい概念だが)を特別扱いしないからだ。GNU/Linux関係者だろうがオープンソース関係者だろうが、私は間違っていると思えば厳しく批判するし、これまでもそうしてきた。これは、多くのオープンソースプロジェクトで日々行われていることでもあり、そういう激しい議論のなかからコンセンサスなり問題点なりが浮かび上がってくるのである。私はオープンソースによるバザール開発において最も重要なのはオープンな議論だと考えているが、批判を許さない馴れ合いの土壌ではオープンソースが定着することもないだろうし、またちょっと批判されたくらいで全人格の否定と考えてしまうようなナイーブな人は、オープンソース向きとは言えないと私は思う。
このように彼は、以前から継続的に、叩きのめす獲物を探してまわっていたようだ。どうにも彼の記事には気持ち悪いものが残ると薄々感じていたが、そういうことだったらしい。
そもそも批判を書くには当たり障りの無い記事を書く数倍のエネルギーを要するし、残念ながら「獲物」とやらを探し回るほど私は暇ではない、という話はさておき。
今回の高木さんの批判において、私が最も高木さんに失望したのはここである。というのも、漠然とした印象に基づく批判は私が最も嫌うものだからだ。基本的に、私が何かを批判するときには、情報源(あるいは事実)を明示し、かつそれのどこを私が問題と思っているのかはっきりと示しているつもりである。特に、読者が私の思考を後で追えるように配慮しているし、批判された側が反論しやすいようになっていると思う。言い換えれば、私は、常に「原理的には反論可能な批判」を書いてきたつもりだ。しかし、この高木さんの批判のように「薄々感じていた」と言われても、私は反論しようがない。この文は単にそういった負のイメージを他者に植え付けるだけの意味しかないし、こういったことを高木さんのようなそれなりに影響力のある人物がするのは感心できることではないと思う。
また、高木さんは以下のようなことを書いている。
つまり、オープンソースというものが世に正しく理解されていない現状がある中で、オープンソースとは何かということを単純に正攻法で説明するのではなしに、オープンソースとは似て非なるものを挙げて違いを示してみせることによって説明に代えるという、効果的な説明手段のひとつだ。
これは高木さんとしては厭味のつもりで書いているのだろうと思う(そう思いたい)が、もし本気でこれが「効果的な説明手段」と思っているのであれば困ったものだし、これまでの高木さんのに泥を塗るものだ。私自身は、何かを持ち上げるために他のものを引っ張って来て貶めるという「手段」は、批判として最も忌むべきものだと思う。ちなみに私が坂村さんの一連の発言を見て批判したのは、基本的に坂村さんが(リップサービスなんだろうが)「TRONを持ち上げるためにLinuxを貶める」ということをやっていると思ったからだ。こういったことはすべきではないと私は思うのである。
なお、に関しては後に続編をjlcに書くつもりなのでここではあまり詳しく触れないが、記事発表後の反応を見ると、妙に納得してしまう人か、感情的に反発する(反論ではない)人しか見つからず失望していた(荒川靖弘さんにされたときは心底がっかりした。彼は、私への反論が書ける人のはずなのだ)。私が期待していたのは議論なのである。そこで山形さんの掲示板に自嘲を込めて「CC叩き」と書いたのだが、すぐ後に結城浩さんにされ、という経緯がある。ちなみにあの文章は結局のところ「物事を変えるにはインセンティヴの構造を変えなければ駄目だ、そのための戦略がCCにはありますか」ということを問うているにすぎないのだが、それを、いくら解釈は読者の勝手とは言え、高木さんのように「CCを叩いてオープンソース賛美」などと変に読まれては、筆者としては立つ瀬がない。そもそもいったいどう読めばそんな解釈ができるのか疑問なのだが。
また、高木さんは、
普通、「一般公開仕様許諾書」が「一般公開使用許諾書」の漢字変換ミスの可能性が高いことには容易に想像が及ぶだろう。彼は、続く段落の主張がしたいばかりに、その可能性を切り捨ててしまうようだ。
と書いている。のすぐ後には注が追記されているのだが、それすらも見えていないようだ。この件といい、先の文章の解釈といい、ようするに、結局高木さんも私を批判したいばかりに、他の可能性を切り捨てて自分に都合のよい解釈をしているにすぎないと思う。あるいは私を批判するために恣意的な引用を敢行しているのだろうか。だとしたら悲しむべきことだ。
さらに、高木さんの批判の最後には言い訳のように自戒のようなものが書き連ねられている。人の振り見て我が振り直せとは言うが、率直に言ってこれは「逃げ」だろう。私は、誰かを批判する際に自分に一切の逃げ場を作らないよう心がけている。ゆえに、自分が間違えていた場合にはきちんと責任をとる。これは私の個人的な倫理でしかないので、高木さんのような立場ある人にそれを要求するのは無理なのかもしれないが。
ちなみに、高木さんはこう書いている。
私の日記はどうだろうか。目的化してはいないはずだと思う。最近、書くことがなくなってきたのは、目的がある程度達成しつつあるからなのだから、そのはずだ。
うらやましい限りだ。
_ [Life] 追記
今更気がつくなという感じだが、まあさっきまで気がつかなかったので。
そもそも高木さんは
だが、相手の意図を取り違えて批判することほど取り返しの付かないことはないのであるから、そこは慎重にしてきたつもりだ。また、公式性の高い文書(個人による文書ではなく、組織による文書)についてだけターゲットとするようにしてきたつもりだ。
と書いているのに、
- 私の意図は取り違えるやら、
- 私という個人への攻撃を敢行するやら、
- jlcはともかく私の日記や掲示板への書き込みを難詰するやら、
言っていることとやっていることが全然違うではないか。私ですらそんなことはしていない(私が俎上に載せたのはどれも公の場に出た文章ばかりだ)。
まったくもう。
2003-10-19 [長年日記]
_ [Sun Ra] Love in Outer Space: Live in Utrecht / Sun Ra & His Arkestra
今日amazon.co.jpから届いた。例によってから出ているもので、1983年12月11日、オランダ・ユトレヒトでのライヴ。ご覧の通りジャケはLeoにしては凝っているのだが、その代わりパーソネルがどこにも書いていない。またやりやがったか!
と言っていてもしかたがないのでThe Earthly Recordings of Sun Raで調べてみると、John GilmoreやMarshall Allen、June TysonといったレギュラーメンバはともかくリズムセクションとしてWilbur Little (b)が加わっているのが目を引く。彼は、例えばTommy FlanaganのOverseasでベースを弾いていた地味な人だ。Arkestraはメンバの変遷を追っていくと、予想外な人が短期的に加わっていたりするのでなかなか面白い。まあ、録音は良いんだがミックスが悪いのでどのみちベースはよく聞こえない。またやりやがったかLeo!
1983年は演奏回数は多いのだが記録として表に出ているものは少なく、そういう意味でこの音源はそれなりに貴重と言える。中身的にはSun Raの最良のレパートリー(Love in Outer SpaceとかFate in a Pleasant Moodとか)を比較的簡潔にやっているので、だれずに楽しめる。珍しく'Round Midnightもやっています。Marshall Allenのフルートが効いている。
ちなみに、Sun Raのピアノ(このアルバムではどういうわけか生ピアノばかり弾いている)に加えてベースとドラムスだけといういわゆるピアノトリオの編成で一曲ブルーズをやっている(Blues Ra)のも珍しいと言えば珍しい。というよりこれはもしかしてSun Ra唯一のトリオでの録音か?
_ [OpenSource] {オープンソース|GPL}原理主義?
どうも私に関して変な誤解が蔓延しているようなのでここではっきり申し上げておきたいのですが、私はこの世の全てのソフトウェアがオープンソースになれだの、ソフトウェアにはすべからくGPLを適用しろだのと言った覚えはありません。いったいどこからそんな妄想を拾って来るんだ。
ライセンスの選択なんてものは個人の自由であって、好きなものを勝手に使えばよろしい。ただしその帰結は自分の責任ですよ、というだけだ。
私が坂村さんを批判したのは、TRONにGPLが適用されていない(という言説自体不正確だが)からではなく、GPLに関して間違った論拠に基づいて批判している(と思い込んだ)からだし、だいたい、オープンソースにしろ、GPLにしろ、もっと批判的かつまともな議論があってしかるべきだ。私はそういった議論の醸成のために、せっせと「オープンソースの定義」だのGPL本文だのFAQだのを(能力が及ぶ限りで極力読みやすく)訳してきたわけだが、全然だめじゃん(笑)。そもそも、批判派にしても擁護派にしても、ろくにGPLだのなんだのを理解せず議論をする人が多すぎる。
あと、GPLなんて本質的にはどうでもいいのであって、できれば本丸のコピーレフトを批判する人を希望したい。
しかし、だんだん坂村さんの気分が分かってきましたよ!(笑) 俺はそんなことは言ってねえ!
2003-10-20 シュッ・シュッ [長年日記]
_ [GNU] blogの設置を検討
私はFSFのtranslation coordinatorというのをやっていて、まあ多くの場合さぼっているのだが、いずれにせよ各国の熱心な翻訳チームの方々と連絡をとらなければならない。今まではメールでのやりとりが主だったのだが、考えて見たらそういうやりとりも公開でやったほうがいいので、この日記に加えて英語で最近巷で大流行のblogをやってみようかと思い立つ。blogと言えばむかしtDiary+BlogKitで用意して見たのだが、今一つピンとこなかったのでそのまま放置してしまったのだった。
どうせ英語なので日本語化されている必要はない(されていれば好ましい)のだが、何を使おうかなあ。MTは候補外というのがねえ。
2003-10-24 [長年日記]
_ [OpenSource] そんなことは言ってない
予想はしていたが、私が言ってないことを私に帰して批判したりいろいろしている人がいるようだ。うーむ、困ったなあ。坂村さんの気分がまた一段とよく分かるようになってきました(笑)
なんかおもしろい事例があったらタレこんでください。
_ [OpenSource] 私のスタンス
与太を書いている場合ではないのだが、たまたまを見付けたのでちょっと反応してみる。
ソフトウェアが絡んだ文脈で私が物事の判断基準に据えているのは、「それがハックに都合がよいか否か」ということだ。私はソースコードがフリー(あるいはオープンソース)な状態に置かれているとハックに都合がよいと思うし、さらに一歩踏み込んで、そういったフリーな状態を維持するためにはコピーレフトが必須だと考える(ここは異論も多いだろう)。また、こういったオープンソースによるバザール開発のプロセスが持続可能であるためには、利潤獲得の機会とインセンティヴの確保が必要だとも考えている。
しかし、以上はあくまで私が考えていることであって、皆さんが無批判に同調する必要はないし、そもそもそんなことは望んでいない。皆さんは私の主張の可否を自分で検討して自分の行動を決めるべきである。そのための材料は十分に提示しているはずだ。
別に意図的に嘘を言うつもりはないし、それなりに考え抜いた、あるいは経験上学んだことだけを述べているつもりだが、それでも私が間違えていることは往々にしてある。ゆえに、皆さんは私の発言を常に批判的に読むべきだと思う。私自身分からないことはツクダニにするほどあるのだし、皆さんからの反論に期待している部分も大なのだ。というより、何か疑問があったらぜひ反論をください。
あと、私は確かにFSFにもOSIにもDebianにも足を突っ込んでいるが、そういった団体の公式見解(そんなものがあるとしてだが)をそのまま代弁することはないし、私が納得できないことを語ることはない、逆に言えば、私の発言の責任は私にすべて帰着する。そもそもナントカ派呼ばわりされるのはあまり愉快ではない。
ということで、疑問の答えになっているでしょうか?
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