2007-07-03 [長年日記]
_ [Life] 高速バス「大泉学園駅〜成田空港線」運行開始
帰宅したらチラシが入っていた。7月13日かららしい。成田に行くときは大体池袋からNEXなのだが、今後はこれも(特に帰りは)選択肢に入るかな。運賃2800円、標準所要時間150分とのことだが、渋滞とかどんなもんなんだろ。
そういえば、あれからまた大泉学園〜羽田空港のバスに乗る機会があった。朝早い飛行機だったので土曜の早朝4:30に出る始発便だったが、15名乗っていて5:45に羽田ターミナル2に着くといった具合(途中寝ていたので細かい時間経過はよく覚えてない)。それなりに利用者いるんですね。便利なので無くならないでほしいんだけど。
2007-07-05 [長年日記]
_ [OpenSource] (最終)Japan Linux Conference 2007 発表者募集のお知らせ【論文、チュートリアル】
締切は来週月曜、7/9いっぱいです。まあさすがに今さら一から書くのは難しいでしょうが、書いたのに送るのを忘れていたとか、週末潰せば仕上げられるという人はよろしく。
2007-07-07 [長年日記]
_ [Music] Freak In / Dave Douglas
ずいぶん昔に買ったそのときはピンと来なかったんだが、最近ひょんなことから聞き直してみたらものすごく良かった。才人トランペッターのデイヴ・ダグラスが、エレクロトニクスにタブラまで動員してなんとも形容しがたいスリリングな音楽をやっている。エレクトリック・マイルスは若干意識はしているんだろうが、はるかに現代的だし、辺りを支配するのがあくまでクールな空気なのが違う。しかし込められた熱気は相当なものだ。とりあえず機会があったら1曲めを聞いてみてほしい。
Freak OutならぬFreak Inというタイトルがすでにいいんだけれど(どうでもいいがジャケのデザインもいい)、内容もこれぞ今の「ジャズ」という感じでひたすら素晴らしい。冒頭の曲なんかは、ガチガチのハードバップ馬鹿よりは、むしろカウボーイビバップというか菅野よう子とかPE'Zあたりからジャズに関心を持った人のほうがすんなり入れるかもしれない。例によってジョーイ・バロンのキレ味抜群のドラムスが全体を引き締めている。うーんかっこいいなあ。
2007-07-09 [長年日記]
_ [Rant] とりとめのない話
まあくやしまぎれなんですがついでだから書いておこう。
最近OTPのジャーナルでこんな記事を書いたんだが、そこで以下のような言い回しを用いた。
彼の場合、広告のオファーが来るなどTipping Pointを迎えたのが2006年と言うから、とりとめがつくまでに3年ほどかかったということになろうか。
で、話の中身はともかく、「とりとめがつく」なんて言い回しはねえよどうせ言うなら「目鼻がつく」とかだろバーカ(意訳)というような温かいご指摘を複数いただいたのである。
そんな馬鹿なと思ってでGoogle様にお伺いを立てたところ、なんとてっぺんに来るのは誰あろう私が昔書いた記事だ。どうやらこの表現を口ぐせにして使っているのはネット広しといえども私だけらしい。
この表現については出どころ(?)があって、昔氷川清話を読んだらこういう一節があったのです。
斉彬公(順聖)は、えらい人だったよ。西郷をみぬいて、庭番に用いたところなどは、なかなかえらい。おれを西郷に紹介したものは、公だよ。それゆえ、二十年[十年?]も以後に、初めて西郷に会ったときに、西郷は既におれを信じていたよ。あるときおれは公と藩邸の園を散歩していたら、公は二つのことを教えてくださったよ。それは人を用いるには、急ぐものでないということと、一つの事業は、十年経たねばとりとめのつかぬものだということと、この二つだったっけ。
当人としてはこれを真似ていたつもりだったのだが、いま改めて引用して見ると若干(というか全然)違うのでやはり言い訳にならず切ない。まあ物事は十年経たないととりとめがつかないというのは含蓄がある言葉だ。というか人間の記憶なんて全然あてにならんね。
2007-07-10 [長年日記]
_ [Music] Taylor's Wailers / Art Taylors
ジャズにおけるドラマーのリーダー作というのも、ベーシストのリーダー作と並んでなかなか微妙な存在だ。アート・ブレイキーやエルヴィン・ジョーンズのような例外的存在を除けば(いや除かなくてもいいかも)、大体はドラムソロばかり目立つ大味なものになるか、そもそも誰がリーダーなのかよくわかりませんというような没個性的ジャムセッション風のものになりがちである。
このアルバムも御多分に漏れずというか後者に近い性格の作品で、アート・テイラーがリーダーである意味というのは特に無いのだが、ドナルド・バードにマクリーンはともかく、テナーでチャーリー・ラウズが入るというありそうであまり無い不思議な取り合わせのフロント。ピアノもレッド・ガーランドかなーと思いきやレイ・ブライアントというこれまた少しプレスティッジの定石からは外れた人選だ。曲もメンツを反映してか、モンク作品が2曲入っていたり、レイ・ブライアントの名曲Cubano Chantをやっていたりと、ちょっと毛色が違った雰囲気が楽しめる。
2曲めだけなぜかコルトレーンがテナー、ピアノがレッド・ガーランドというワンホーン・カルテットの演奏だが、まあこれはどうでもいいです。別に出来が悪いというわけではないけれど。
2007-07-11 [長年日記]
_ [Music] Mirrored / Battles
このBatllesというバンドについて予備知識は全く無く、でも益子さんが言及するくらいだし(たぶんこの最新作のことだと思うんだけど)、例によってニューヨーク・ジャズ若手風に辛気臭い神経質で繊細な感じなのかなあと偏見丸出しで臨んだのだが(怒らないでね)、51分57秒、頭からしっぽまで激しいリズムでガンガン来るタイプの音楽でなかなか楽しめた。いわゆるジャズの肌触りとはちょっと違っていて、どっちかというとそうですね、ハードコア・ポストロックというか、ある種のプログレとか、ある時期のザッパ作品のような感覚が強い。リズムのブレから生まれるグルーヴ感というかルーズなノリみたいなものは希薄で、私のようなズボラな人間にはちょっと堅苦しさが勝る印象はあるが、オリジナリティのある面白い音楽だと思う。名前からもしかして…と思って調べてみたら、ギターを中心にキーボード、ヴォーカルも担当するチョンダイ・ブラクストンというのはやはりアンソニー・ブラクストンの息子のようだ。彼のヴォーカルの使いかたもなかなかうまい。
ただ、別にこの作品に限らないんだが、どうもこの手の音楽は四六時中最高潮というか、一曲の中でのメリハリみたいなものが無くて単調に陥りやすいような気がしてならんのです。クラブとかで踊るぶんには全然気にならないんだけどね(というかこういうもののほうがいい)。ライヴだともっといいんだろうな。
2007-07-14 [長年日記]
_ [Reading] 最新戦法の話 / 勝又清和
タイトルで若干損をしている本なのではないかと思う。といっても実際将棋の最新戦法の話が書いてあって、きちんとした定跡書、専門書なのだから看板に偽りありというわけではない。ただ、まえがきにも書いてあるようにこの本の本質は「(棋譜)鑑賞の手引き書のようなもの」というところにあって、その点で他に類書のないユニークな存在なのだ。勝又という棋士についてはあまりよく知らなかったが、東海大のそれも数学科を出てるのね。そういうバックグラウンドのせいか、語り口は平易ながら中身はロジカル、戦法の創始者たちへのインタビューや巧みなレトリックも交えて、あくまで読みやすいのに論理に飛躍がない。とにかくスラスラ読めて、予備知識がなくともああこうこうこういう経緯でこういうのが出てきたのね、とスコンと腑に落ちる。はっきり言って棋譜を追う必要すらない。
将棋のルールは知っているし、戦法に関しても(昔のなら)一通り知識はあるけれども、一手損ナントカだのナントカシステムだのゴキゲンナントカだの最近の棋戦の観戦記を読んでも何がなにやらさっぱり分からない私のような人間にはまさにこういう本が必要だ。将棋の駒の動かし方が分かる人全員におすすめ。羽生がプロからなんであんなに畏怖されているのかもよく分かります。
_ [GNU] The Issues on Wiki Licensing@Taipei, 2007/08/03
本人よりもなぜかyomoyomoさんのほうが早く告知しているのだが、それはともかく8月最初の週に台湾・台北で開催されるWikimania 2007に参加して一席ぶつことにした。お題はこちら。Wikipediaとほとんど接点がない男が語るWikipediaのライセンシングという、(話者にとって)スリリングなテーマである。
というか当人的には台湾豪遊物見遊山ピータン粥に相当なウェイトがかかっておりますので、能天気というか話す内容はまだ全然考えていないのだが、スケジュール見ると最初の話と違ってどうも正味30分も無さそうなので適当にお茶を濁す可能性が高いかも。日本人ウィキペディアンが何人行くのかしらないが、私のセッションに出るよりは他の人のを聞きに行ったほうがいい(笑)。
ちなみに依然改訂中のFDLv2のリリーススケジュールですが、こちらはまるっきり立っておりません。AGPLv3のほうが先。ただ水面下ではいろいろ動いております。
2007-07-16 [長年日記]
_ [Reading] ナショナリズム - 名著でたどる日本思想入門 / 浅羽通明
「ナショナリズム」というのはなかなか捉えどころのない概念だ。それはおそらく、ナショナリズムがネイション、すなわち「国」へのいわば愛として定義されるにもかかわらず、肝心の「国」が具体的に想起するイメージが人によってまちまちで、おまけにそれらを愛する理由は突き詰めれば(少なくとも個人の観点からは)合理的に説明できるものではなく、しかしそれでもなお「国」は「我々の意識を深いところで規定してくるリアリティとして現に在る」(pp.21)ためなのだろう。ナショナリズムが大上段の「思想」というよりはむしろ生理に近いものであり、、小説や漫画、歌といったメディアからも身体に染み込んでいくという事実が、さらに事態を複雑にする。
というような出だしから、三宅雪嶺から本宮ひろ志まで縦横無尽、相変わらずの浅羽節でリズム良くまとめられている。ベーシックなものからマニアックなものまで幅広くカバーした読書案内の「読書ノート」が各章に付けられているのも便利。
2007-07-25 [長年日記]
_ [Music] From a Window / Wayne Horvitz
ジョン・ゾーンと組んでハードでキッチュなNaked Cityをやったり、自分の仕切りでソニー・クラークのトリビュートをやったり(結局ゾーンも入ってるのでみんなゾーンのリーダー作だと思っているけれど)、あるいはPigpenやZony Mashといったジャムバンド(?)を組んでごりごりオルガンを弾き倒してみたりと、キーボーディスト、ウェイン・ホーヴィッツも彼の世代のご多分に漏れずいろんなときにいろんなことをやってきた人だが、個人的にはこの作品のような、室内楽的に抑制された表現の中から熱気が遠赤外線のようにじんわり伝わって来るタイプのものが、変な衒いが抜けて素直にたのしめるようだ。肝移植を乗り越えて復活したベテラン・トロンボーン奏者のジュリアン・プリースターが中心のいわゆる「4+1」バンドに、バリトンサックスのスケーリックをゲストとして迎えた編成だが、この二人に加えてヴァイオリンのアイヴァン・カンの存在が良く効いている。曲そのものも良いし、シンセとアクースティック楽器の噛み合わせ方も見事。案外激しいところもあるのだが、全体としては心の落ち着く音楽である。映画音楽的とすら言えるかもしれない。
ビル・フリーゼルもそうだが、この世代、特にユダヤ系のインテリ・ミュージシャンは、「(仮想の産物としての)古き良きアメリカの田舎」をテーマとした叙情的な作品を作らせると抜群に良い仕事をする(彼らが意図してそういうものを作っているのかは、実は良く分からないのだが)。彼らにしても結局は都会育ちだったりして、本当の意味でルーラル・ミュージックが体に染み込んでいるとは言えないはずなのだが、それでもなぜか非常に説得力があるのが不思議だ。それは彼らから「古き良きアメリカ」への距離が、私たち部外者からそういったものへの距離と、今となっては大して変わらないからかもしれない。
Before...
_ ますこ [辛気臭いのは大きなお世話ですぅ。今回のNY行きではそこいら辺りにも変化の兆しが感じられましたが。ところで、Battl..]
_ ますこ [そうそう、ジャケのデザインといえば、内ジャケのコンセプトがJim Black AlasNo Axis: Dogs o..]
_ ますこ [カウボーイ・ビバップといえば、ナベシンはいま何をしているのだろうか?]