2005-11-01
_ [Music] Atom Bomb / The Blind Boys Of Alabama
1937年結成という超大御所ゴスペル・コーラス・グループの最新作。この作品の発表直後、結成以来のメンバで最低音を引き受けていたジョージ・スコットが亡くなってしまい、彼の遺作となってしまった。
このグループはキャリアの割に感覚が若く、歌詞さえ瀆神的でなければ(笑)若手の曲でもこだわりなく取り上げる人たちで、従来もスティーヴィーやトム・ウェイツの曲を演ったりしていたが、ここではなんとファットボーイ・スリムの曲(「Demons」)をやっている。プロデュースの勝利ともいえよう。ビリー・プレストンやロス・ロボスのデヴィッド・ヒダルゴが加わった曲もあり、アルバムとしての骨格がしっかりしているのも良い。シャッフル・ビートに乗って暴走する冒頭1曲目から最高潮だ。
昔ピチカートファイヴのトリビュート盤で、デューク・エイセスが「新しい歌」を超かっこよく決めていたが、実力あるベテランが最近の曲を本気で歌うと平均を軽く超えることがあるという好例か。
2006-11-01
_ [Music] House On Hill / Brad Mehldau Trio
普段はぶうぶう文句を言いながらも、新譜が出ると律義に買ってしまうジャズメンが何人かいる。例えばキース・ジャレットがそうなのだが、メルドーもその一人だ。もちろんこの新作も出てすぐに買った。実は新録音じゃなくて2002年のエニシング・ゴーズ(ブラッド・メルドー・トリオ)の残りテイクらしいのですが…なお、日本盤には1曲ボーナスが入っています。四谷いーぐるの後藤雅洋さんもお薦め。
ちなみに文句と言っても大したものではなく、彼らの実力は十二分に認めた上での話だ。凄いことは凄いんだけど、どこか全面的に支持できないんだよなーと、自分で言うのも何だがイチャモンに近い。突き詰めれば好みの問題だからどうしようもないのだが、基本的に自己耽溺的というか、コアな部分で過剰にセンチメンタルというか、そういうものを体質的に受け付けないのだろうと思う。もちろん人によってはそここそが魅力だと言う人もいるだろうし、嫌いだと言う私からして聞けば納得させられてしまうだけの力が彼らの音楽にはある。十把一絡げの凡百ピアニストとは到底比較にならない。ついでに言うと実はビル・エヴァンスもそんなに好きではない(でもキースやメルドーよりは好き)ので、お前の駄耳には勿体ないと言われれば返す言葉もないのですが。
昔へぼピアノを弾いていたころ、知り合いのピアニスト(彼はプロのジャズピアニストになった)やベーシストが「メルドーは7拍子でオールザシングスユーアーをやっててすごいすごい」と騒いでいた。The Art of the Trio, Vol. 4: Back at the Vanguard(Brad Mehldau)が出たころだった思う(これの冒頭にそういう演奏が入っているので)。それを聞いたとき、確かに技術的に凄いのは分かるけれど、彼らが熱狂する理由がどうしてもピンとこなかったのだが、今になって思えば、私はテクニカルな意味での凄さ、超絶技巧にはあまり反応しない、不感症の人間なのだと思った。むしろ個人的には、目を瞠るようなテクニックの冴えの有無を問わず、演奏者が表現しようとしている、彼らが言いたいことの内実に惹かれるのである。もちろんキースもメルドーも言いたいことをきちんと持っているし、それを過不足なく表現するだけの技量も備えているので、まあ冷静に考えるとやっぱり言いがかりに過ぎないんですけど、でも好みじゃないんです、ハイ。ごめんなさい。
2007-11-01
_ [Music] Witches, Goblins, etc. / Sadik Hakim
ヒルトン・ルイスのあれと時を同じくして、これもひっそりと日本盤が出ていた。SUBURBIAxSteepleChaseという企画らしいが、よりにもよってこれを選ぶか。えらいぞ橋本徹。
スティープルチェイスのピアノ・トリオものと言うとすぐケニー・ドリューかテテ・モントリューかという話になってしまいがちだが、むしろこういう目立たない奴に思わぬ掘り出し物が多い。このサディク・ハキムも元はチャーリー・パーカーやデクスター・ゴードンとの共演・録音経験を持つビバッパーで、1950年代以降はカナダに移住したり放浪の生活を続けていたらしい(来日経験もあるはず)が、プロデューサーのニルズ・ウィンターは元はといえば晩年のバド・パウエルのライヴに通いつめていたようなバップ馬鹿なので、このへんのバップ・サバイバーに対する審美眼は確かだ。この人は最後まで共演者に恵まれなかった人で、残っている数少ない録音の大半はろくでもないベーシストかろくでもないドラマーと組んでいるのだが、ここではベーシストはともかくドラマーがアル・フォスターなので安心して聞いていられる。
ピアニストとしてのこの人の特徴はセロニアス・モンクやエルモ・ホープに近い珍妙不可思議なハーモニック・センスで、これは1940年代当時の録音からずっと変わらない。明らかにパウエル以降のバップ・ピアノの語法を踏襲してはいるのだが、それだけでは括れない個性がある(まあ、単純にテクニック面がかなり怪しいというのもあるんだけど)。そしてこの手のピアニストの常で、なんとも良い曲を書く。フレディ・レッドとか、(質的にかなり違うけど)マル・ウォルドロンとか、そのへんを思い浮かべれば当たらずとも遠からずでしょう。このアルバムでも全てを自作で通していて、どれも魅力的なメロディーを持つ個性的で良い曲ばかりである。特にタイトル曲は小林陽一がどこかで演奏していたはずで、名曲と言って恥ずかしくないものだと思う(そのときはBosamiというタイトルじゃなかったかな?)。
_ [Obit] itojun氏逝去
急なことで言葉もない。おくやみのようなものを書きました。
_ 後藤雅洋 [どうも、いーぐるの後藤です。ブログ制作では本当にお世話になりました。メルドーってのは確かに「自己耽溺型」だし「センチ..]
_ mhatta [そうですね、自己耽溺は別にどうでも良いような気がしてきました。ナルシスティックで剥き出しにセンチメンタルなのが苦手な..]
_ 後藤雅洋 [知り合い同士でヨイショしてもしょうがないんだけど、「サックスならコルトレーンではなくドルフィー、ペッパーではなくコニ..]