2007-05-14 [長年日記]
_ [Reading] 坂口安吾の「全然」
現実逃避に風呂で将棋随筆名作集を読んでいたのだが、最後に坂口安吾の「勝負師」が収録されていた(青空文庫にも入っている)。この随筆は安吾の傑作のひとつであり、また将棋のみならずおよそ競争者の心理をここまで明晰に切り出しえた文章は稀ではないかと思うが、今日の話は残念ながらエッセイの中身とはあまり関係がない。
私が読んでいて驚かされたのは、安吾の「全然」の用法だった。個人的に、「全然」を肯定の強調として使うことに強い違和感がある。ようするに「全然オッケー」とか「全然大丈夫」みたいな言い回しだが、「全然」はあくまで否定の強調という感覚があるのですね。私より若干でも年下になるともう全然違和感を感じないようなので、これは1990年代以降に市民権を得たかなり新しい言い回しなのではないかと思っていた。
ところが、安吾は「全然」をこう使っているのである。
その一回戦は、木村が全然勝つた将棋に、深夜に至つて疲労から悪手の連発で自滅したといふ。
このエッセイが書かれたのは1949年。安吾は言葉を破格に使う人だったから、必ずしも断定は出来ないが、いちおう当時から「全然」を肯定の強調として使う用法は存在したということにはなる。
面白いのは、安吾はこのエッセイ内で3回「全然」を使っているのだが、あとの2回はオーソドックス(?)な使いかたなのだ。
碁のまるまるとふとつた藤沢九段が、全然ねむけのない澄んだ目を光らせて、熱心に説明をきいてゐる。
全然読まない手であるから、木村は面食ふ。
といった具合。こういう話を深追いしてもしょうがないのだけれど、Wikipediaの「全然」のエントリではのっけから「本来『全くを以って然るべき』の意で公用される副詞で肯定にも否定にも用いられるが、近年肯定に用いるのは誤りであると称してたびたび話題になる」と触れている。案外よく知られた話らしい。
さらに、「全然OK」は全然OKかや『全然〜ない』をいぢめるあたりを読むと、実は歴史的、学問的見地からは肯定の強調のほうが「正統的」な用法で、否定の強調にしか使えないという教えられ方をしたのは戦後の一時期だけなのではないかという話まで出てくる。安吾の用法からも分かるように、もともと肯定・否定を問わず単なる強調の意味で広く使われていた「全然」が、なぜ一時期だけ「変調」したのか、興味深いテーマだ。
まあそんなこと言われたって、違和感があるのはどうしようもないんですが。