2003-12-24 [長年日記]
_ [Life] No News Is Good News
なんとなく思い出したので書いておく。
昔アメリカの高校に留学していたころの話である。当初、私は見事なまでに英語ができなかった。当然のことながら友達もいなかった(ちなみに帰国するころには彼女までこさえた。人間は進歩するのである)。
とはいえ、捨てる神あれば拾う神ありというやつで、遊んでくれる人が皆無だったわけではない。まあ同情半分だったのかもしれないが、仲良くしてくれた中国系アメリカ人で某というのがいた。こいつと、でぶのジョージ(亡命キューバンの子供で親にはホルヘと呼ばれていた)というのが私の数少ない友だちだったのだが、そういえばこのホルヘが私に「Linuxていうものがあるんだ(当時はSlackwareが主流だった)、インストールしてDoomで遊ぼうぜ」とかろくでもないことを教え、この世界にひきずりこみやがった張本人である。おまけにでぶまで伝染ったが、閑話休題。
さて、某のほうは年代物のベンベワゴン(窓が閉まらない)を持っていた。これを乗り回して、免許のない私をいろいろなところに連れていってくれたのだが、だいぶアメリカ暮らしにも慣れて来たあるとき、ウェストナイアックというところでキャンプをやるがいっしょに行くかと誘ってくれた。喜んでついていくことにした。招いてくれてとてもうれしかったのだ。
現地に行ってみると泊まるのは教会の施設だったのだが、アメリカ(少なくとも私が住んでいたところ)では教会というのは極めて生活と密着した存在だったので、キャンプで教会に泊まるというのはそれほど奇異には感じなかった。日中はバスケをやったりオルガンを弾いて歌を歌ったり(いまから思えばこのあたりからすでに怪しい)遊んでいたのだが、さて夜だ。
ニュージャージーからプリーチャーが来るという。プリーチャーとはなんやねん(もちろん当時からジャズは聞いていたし、ホレス・シルバーのあの曲も知っていたが、曲名の意味は知らなかった)と首をひねりつつ、その人の到着を待った。ちなみにプリーチャーというのは説教師のことです。
やってきたのは、半袖ワイシャツに黒いネクタイを締めた、吉祥寺あたりによくいそうな若いお兄ちゃんだ。で、彼は到着早々、キリストの敵と彼らの悪業、あと細かいところは忘れたが、ともかくそういった不倶戴天の異教徒どもとどう戦い抜くかについて、アジり倒しはじめたのである。結論を言ってしまえば、私の友達はファンダメンタリスト(キリスト教原理主義者)で、キャンプというのはファンダメンタリストのまあ、研修みたいなもんだったのね。
そんなわけで、毛皮屋に入ったキツネみたいな気分でしばし過ごしたのだが、説教がはけて他の連中がいなくなった後、大胆にも私はプリーチャーに以下のようなことを聞いてみた。
私はブッディスト(この時点でかなり嘘だが)だが、別にあなたがたの敵ではないし、悪意もない。だから、異教徒だからといって攻撃するのはいかがなものか。
いまだに覚えているのだが、これを聞いたとたん、あれだけ表情豊かに神の威光を語っていたプリーチャーが能面のごとく無表情になってしまい、眉毛一つ動かさなくなった。アメリカ人は日本人と違い、驚いたときは普通に驚いたような顔をする。おそらく、本当に予想外の事態で相当うろたえていたんだろう。居心地の悪い数秒間が過ぎ、たしか彼はこう言った。
私はあなたの信仰は間違っていると思うが、あなたという個人が私たちの敵だと言うつもりはない。そうとられたのなら申し訳ない。ぜひあなたのために祈らせてください。あなたも一ヶ月間神に祈ってみるといい。かならず神はあなたに答えてくださる。
そして、私の頭に手を置いて、しばらくごにょごにょ祈っていた。それから、握手をして、その場はそれっきり。翌朝プリーチャーはニュージャージーに帰っていった。
当時はまだ素直だったので、私はまじめに一ヶ月ほど祈ったのだが(笑)、もちろん神さまからは何の返答もなかった。おそらく、何の返答もない、ということが、私への福音だったのだろう。
相変わらず私はキリスト教(のみならず大概の宗教)は嫌いだし、別に私のあったプリーチャーが立派な人物だったというつもりもない。ただ、彼はあの瞬間、(もしかすると彼のそれまでの人生で唯一)自分の頭でものを考え、答えを出していたと私は思う。私は、そういう場に立ち会い、参加するのを無上の喜びとする者である。また、彼がヒステリックな対応(ものどもであえであえ曲者ぞ、と叫ぶとか)をしていれば、その後の私のものの見方は今とはずいぶん違ったものになっていただろう。そういう意味で、基本的には不毛で時間の無駄でしかない(と未だに思っているのだが)理性的な議論というものを、おそらくは通約不能な立場の違う当事者同士できちんとやるということ、そしてそれがまがりなりにも可能となるような環境を、意地でも整えること、これらの重要さを、私が、頭だけではなく身に浸みて学んだのは、この一件からに他ならない。
というわけで、オチの無い話で恐縮だが、キリスト教徒の皆さんにも、そうじゃない皆さんにとっても、楽しいクリスマスでありますように。私は相変わらず仕事なのだが。
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