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2004-02-24 [長年日記]

_ [Life] Orkut

話が風雲急を告げるなかいきなりどうでもいい話ですが(笑)、TFJさんに誘っていただいたのでOrkutに入りました。なんか友達(の写真)を集めるのがビックリマンチョコのシールを集めるようで懐かしい感じ。

_ [OpenSource] オープンソースは簒奪者か

端的に云うと、1998年(1997年だっけ)にBruce PerensやESRが「フリーソフトウェアの定義」を書いたならば、それは「フリーソフトウェア」の簒奪だとRMSにシュッ・シュッ批判されてもしかたないと思うのだが、わざわざ「オープンソース」という新しい言葉(だと私は思うんだけど)をこさえているわけで、それを勝手に使っておいて俺流の定義を認めろというのは少々虫が良すぎる話だと思うのだがどうか。

どうもオープンソースを批判する人に関して私が理解できないのは、そんなに嫌ならそもそもそんな言葉を使わなければいいじゃんということなのである。すなわち、他人の褌を借りずに自分で用語を作って定義すればいい(もちろんそうやっている人もいる)。DFSGもOSDも最初はそうやって無から出来たのだ。基本的に、こいつらは「ものさし」に過ぎないので、便利なものを使えば良いのである。あなたの定義が出来たら、それがいかにOSDよりも優れているか、ぜひ私を説得してみていただきたい。

_ [OpenSource] かつて「オープンソース」は存在したか

今野元之さんが以下のようなことをお書きになっているのだが、内容に疑念がある。

いわゆる「オープンソースの定義」が発表されるより前から「オープンソース」という言葉が使われていたということは、使っていた人がそれぞれ自分なりに「オープンソース」という言葉を定義していたということ。『既に定義がある言葉の「俺定義」は失礼』というのが仮に真だとしたら、失礼なのは後から定義をした「オープンソースの定義」の存在そのものだよね (w。

今野さんは「OSDが世に出る以前に『オープンソース』という言葉が使われていた」というのをアプリオリな事実として、その上に論を組み立てているのだが、そもそも私が知る限り、「オープンソース」という言葉が1998年より前にソフトウェア業界で広く使われていたとは思えない。何か根拠はあるのだろうか。

もし根拠がないならば、OSDと共に登場した「オープンソース」という概念に、今野さんが後から勝手に「定義」してしまっているわけで、それこそずいぶん「失礼」な話である。

_ [OpenSource] 「オープンソース」という言葉について

以前にも書いたことだが、私は「オープンソース」と言う言葉が嫌いだ。ソースがオープンなだけ、という誤解を招きやすいからである。いずれにせよ、いまさら良い代替案が思い付かないし、これで普及してしまったから使っているというだけの話だ。

しかし、私は「オープンソース」という言葉が示す「概念」、すなわちライセンスがOSDによって定義された諸条件を満たしているというソフトウェアの置かれた権利状態は好ましいと思っている。それは、経験上OSDの条件を満たしていると頒布者として便利だし、開発者としてもフィードバックや共同開発がしやすいから楽、という極めて実利的な理由であり、煎じ詰めれば個人的な理由である。ゆえに、それがなんと呼ばれようが、概念としての(いわゆる)「オープンソース」については、よろこんで話をするし、その利点を説くことにやぶさかでない。また、その「利点」がどれだけロバストなものなのか、主張の正当性について議論もしたいと思う。逆に、概念としてのオープンソースの一線を崩すような動き、具体的には正当な理由もなくOSDに準拠していないライセンスを「オープンソース」と呼ぶような動きに対しては、一貫して反対し、場合によっては批判も加えてきた。しかし、ここで強調しておきたいのは、私が批判するのはそれがオープンソースでないからけしからん、だからライセンス変えろ、というような乱暴な強制をしたいがためではなく、OSDに準拠したライセンスという意味で「オープンソース」状態にないソフトウェアをオープンソースと呼ぶと紛らわしいからやめてくれ、というだけの話だということである。

たとえ話をすると話がややこしくなりそうだが、数学で「虚数」というのがあるでしょう。あれはimaginary number、またはそれに相当するドイツ語か何かの訳だと思うのだが、率直に云って誤訳だと思う。しかし、だからといって、レトリックとして詩などで使うならともかく、数学の話をしているときに「虚数というのはうつろな数って意味だから、ゼロのことなんだよー」とか云う奴がいたら、それは違うだろうと言わざるをえない。しかも、それを指摘されて「虚数は虚ろな数と書いてあるんだから普通はうつろな数と思うはずだ! 俺は悪くない!」とか云われた日には、そりゃあなた逆ギレですがなとしか言いようがない。そもそも、こういうのは間違っているか間違っていないかであって、善悪の問題ではない。

オープンソース云々もそれと同じで、私としてはソフトウェアの世界以外で、たとえば「オープンソース政党がー」とか云って騒いでいるような向きに関しては、まあ阿呆なことを言っているなあとは思うがあまり目くじらはたてないのだけれど、ソフトウェアについて話をしているときに変な俺定義を持ち出されると話がややこしくなるのでやめてくれ、というのが率直なところである。それが、私がオープンソースがOSDに準拠しているということにこだわる理由だ。

ある言葉が指し示す概念に関して、間違っている、あるいは正しくないと指摘するのは、私は正当だと思う。その際、議論はその概念の定義に関して行われるべきだろう。よって、私は現時点で、ソフトウェアが出てくる文脈においてOSDから逸脱した意味で「オープンソース」という言葉を使うのは、「正しくない」と思う。もっと云うと、OSDのようなわかりやすい基準があるということは、異義申し立てや外部からの批判をも簡単ということだ。そういう意味で、オープンソースという概念は極めて「客観的」だと私は思う。

と書くとまた誤解されがちなのだが、私はOSDを金科玉条永劫不変と思っているわけではない。あれは侃侃諤諤の議論の産物であって、いわば作業仮説にすぎない。正当な理由があれば今後改変されることもあるだろう(実際最近10項が付け加えられた)。OSDが課す条件の下では経験上バザール開発がうまくいくことが多いようです、それをオープンソースと呼びましょうねというだけのことなのだから、もしあの中の条件で円滑なソフトウェア開発に悪影響を及ぼすようなものがあれば、どしどし指摘してOSIに変えさせればいい。

話が少し横道に逸れたが、率直に云って、今野さんにしろ、今回まつもとゆきひろさんとやりあっている塩崎拓也さんにしろ、OSDのどのへんが具体的に自分にとって都合が悪いのかはっきりさせてくださったほうが、よほど有益な議論になると私は思う。

本日のツッコミ(全12件) [ツッコミを入れる]
_ yoosee (2004-02-25 01:01)

まつもとさんの方にも書かせて頂いたんですが、「オープンソース ならば OSD準拠」は真として、「OSD準拠 ならば オープンソース」と言うのも真であるべきなんでしょうか? 正直、そこの所が私には判断つかないんです(まつもとさんの日記では「逆は真ではないんじゃないか」とか書いちゃってますが嘘だったら申し訳ない)

_ mhatta (2004-02-25 01:07)

yooseeさん、できればOSD準拠であってオープンソースと呼びがたいもののサンプルを挙げて頂けませんか。

_ なかの (2004-02-25 01:26)

「OSD 準拠であること」が「オープンソースであること」の定義なのですから、この両者は同値だとみなすのが自然な解釈では。それ以外のニュアンスを「オープンソース」に与えるのは、やっぱり言葉の意味を曲げているように思えるのですが。

_ まつもと (2004-02-25 01:57)

定義ってのは恒等なんじゃないですかねえ。<br>そうじゃないものは「十分条件」とか「必要条件」とか呼ばれそう。<br><br>「OSDを使って(近似的に)表現したかった何か」が「真のオープンソース」であるという説はありえるでしょうが、表現されないものは(議論上は)存在しないのと同じでしょう。

_ yoosee (2004-02-25 14:27)

まず「オープンソースとは、OSD準拠のものである」は真とします。対偶は「OSD非準拠ならばオープンソースとは呼べない」で、これも当然ながら真。この時点で「俺定義のオープンソース」は否定できます。<br><br>個人的に疑問なのはこの「逆」で、「OSD準拠ならば、それは(全て自動的に)『オープンソース』である」のかな? という部分です。<br><br>OSD に書かれているのは「オープンソースとは以下の条件を満たしているものである」と言う定義だと思うんですが、OSD を意識せずとも OSD が示す条件を満たす場合はあります。上記の逆が真の場合、開発者は意図せずして「オープンソース」と呼ばれることを許容しなければならなくなるのではないでしょうか。それは嬉しく無さそうだなと思います(オープンソースと呼びがたい、ではなく、オープンソースと呼ばれたくない、と言う場合です)。<br><br>もしかして Definision (定義) である時点で「以上の条件を満たしているものをオープンソースと呼ぶ」と言う意味合いを含んでいる(逆も真としている)と解釈すべきですか?<br><br>だとしても上記の「自分のソフトが勝手にオープンソースと呼称されてしまう」ケースは救済され無い気がするんですが、これはそういうものだと思うべきなんでしょうか。私が何か勘違いしているのかもしれませんが...<br># OSD に「対象が『オープンソース』と呼ばれることを許容する」という項目を足せば良いのかしらん

_ gon (2004-02-25 15:31)

yooseeさん<br>例えば、自分がプロペラを回して滑走した後、空を飛ぶ乗物を作った時、他の人が勝手にあれは「飛行機」だと呼んだ場合に、自分としては嬉しくないけどしょうがないということではないでしょうか。(ちょっと違うかな)

_ なかの (2004-02-25 16:32)

ぶっちゃけた話オープンソース運動というのは、「こういう条件を満たすものをオープンソースと呼んでくくりましょう、そしてそういったライセンスのソフトが増えるよう啓蒙活動をしましょう、そうすると distributor/user である僕らに便利だから」というものだと僕は理解しています。<br><br>「そんなのは嫌じゃ、俺のソフトは (例えば) BSD ライセンスだけどオープンソースなんて呼ばれたくないぞ」という意見が出てくるのは:<br><br>1.このような「オープンソース活動」に賛成できない。<br>2.「オープンソース活動」をもっと胡散臭いものだと思っている。<br>3.(例えば) GPL なんかと一緒に括られるのは嫌だ。<br>4.その他<br><br>のどれなんでしょうね?

_ かりやん (2004-02-25 17:49)

すみません、ちょっと一言。<br><br>八田さんの「OSDに合致したライセンスの元ではバザール開発がうまくいく」という説明からも分かりますが、一般に「オープンソース」というのは「バザール開発」を前提にしていると認識されているんじゃないでしょうか。今迄の論議を見る限り、オープンソースというのは開発形態の理念であって、OSDはそれをサポートするためのソフトウェアライセンスだとしか思えないのですが。<br><br>もし本当に「オープンソース」と「OSD準拠」が同義であるなら、「オープンソース活動」は「OSD準拠活動」と置き換えられるはずですよね。それって、全く意味が取れないと思うのは私だけでしょうか。

_ mhatta (2004-02-25 23:34)

かりやんさん、「オープンソース」というのはあるソースコードのライセンスがOSDに準拠していて、その結果誰でも自由に利用できるという「状態」のことです。そういった自由に利用できるソースコードを、厳格なコーディネート無しで(あれば「伽藍」ですね)不特定多数の人間でいじり倒しましょう、というのがバザール開発モデルです。ついでに云いますと、OSDはライセンスではありません。ライセンスが満たすべき条件で、いわばメタライセンスです。このあたりは誤解しやすいところだと思いますが注意してください。

_ mhatta (2004-02-25 23:36)

肝心なところを書き漏らしましたが、ようするにバザールがかりやんさんの云う「開発形態」にあたります。<br>オープンソース活動とかオープンソース運動というのは、正直云って私も何を指しているのかよくわかりません。きちんと定義をしないまま、皆さん(というのはオープンソース擁護派も反対派も)使っていらっしゃるようですね。このことについては日記本文で指摘しようと思います。

_ かりやん (2004-02-26 00:50)

あ、言葉足らずで済みません (^ ^;<br>OSDがライセンスそのものでないことは了解しています。<br><br>八田さんの御意見を読んで、当方の意見を修正しました。つまり、要点は「ソースが誰でも自由に利用できる状態」が「オープンソース」だ、ということですよね。これは容易に理解できます。問題は、その状態を作り出すための「OSD準拠」という方法論が、直接「オープンソース」という概念と比較されるということでしょう。<br><br>「オープンソースの定義(OSD)」は、正直言えばオープンソースを定義していないと思うのです。これは「オープンソースを実現するためにソフトウェアが持つべきライセンス要件の定義」とでも表現すべきものであって、オープンソースという言葉に込められた「状態」について一切の記述がないからです。畏らく、ここが歪みの原因だと思うんですが…

_ なかの (2004-02-26 05:09)

混乱は「オープンソース」を単独の名詞として使うか形容詞的な意味で使うかにあるのではないでしょうか。<br><br>私は「オープンソース」を単に「オープンソースソフトウェア」の省略形と捉えていて、さらにこれを「OSD 準拠なソフトウェア」と同値だとみなしています。しかし、嫌悪感を表明している人たちやかりやんさんのコメントを見ていると、このふたつは別々の entity で、かつ前者にはなにやら胡散臭いニュアンスが付加されているような気がするんです。<br><br>で個人的には、「オープンソース」と「オープンソースソフトウェア」との間に、なぜそういう違ったニュアンスが持ちこまれたかに興味があるのですが。