2004-02-05
_ [Life] なんだこりゃ
officeとか言う人が逮捕されたそうで、私自身はあまり詳しい事情を知らないのでコメントしないが、その彼に脆弱性を暴かれた件のCGIをこさえた(ではないのか、CGI自体は出来合い?)会社の勝利声明。読むと倒れる。
現在、ASKACCSの再開に向けた作業を進めていますが、 セキュリティの専門家やセキュリティ技術に依存しないセキュリティのあり方、セキュリティに依存しない情報社会のあり方を模索していかなければならないと考えております。
セキュリティに依存しないって...ようするに、また同じようなものをつくるということですか。
しかし、ACCSはそれなりに名のある組織だろうに、なんでこんな駄目そうな会社に発注しているんだろう。
_ [GNU] Emacs Lispの頒布
やはり今野さんの日記を拝見していてふと気がついたのだが、
例えば、 GNU Emacs で byte-compile された .elc ファイルを自分の WWWに置いて配布することを考えてみよう。 GPL では同じ場所 (もしくは自分が管理する別の場所) に GNU Emacs の全ソースコードを始めとする膨大なソースコードを置くことが要求される。 FSF で配布している GNU Emacs のソースへのリンクを張るだけでは GPL 違反となってしまう。たかが数キロバイトのバイナリを配布するために数十メガバイト以上の置場所を確保することが必要になる。
これは、.elさえ置いておけばよいような...Cのソースを頒布するのにGCCのソース一式置いておかなくてもよいわけで。「完全なソースコード」には処理系は入らないのではないか。
GNU GPLが古くなっているというのは私自身折りに触れて述べてきたことで、全くおっしゃる通りだと思う。「good enough is bad enough」というか、完全には破綻していないものだからなかなか改訂が進まない。2000年に青山でRMSと会ったときすでに「もうすぐGPL3を出すぞ」とか抜かしていたのだが、もう4年も経っている。困ったものだ。
テクニカルな問題以外にも、個人的には各国の著作権制度の差異を吸収するような仕組が必要だと考えているのだが、なかなかうまい案が浮かばないんですね。
_ [GNU] XFree86のライセンス変更に関して
今野元之さんがここでお書きになっていることは間違っていると思う。
3. All advertising materials mentioning features or use of this software must display the following acknowledgement: This product includes software developed by the University of California, Berkeley and its contributors.
という条項が存在する。
ちなみに、XFree86の新しいライセンスにも、
3. The end-user documentation included with the redistribution, if any, must include the following acknowledgment: "This product includes software developed by The XFree86 Project, Inc (http://www.xfree86.org/) and its contributors", in the same place and form as other third-party acknowledgments. Alternately, this acknowledgment may appear in the software itself, in the same form and location as other such third-party acknowledgments.
と言う条項が加わるらしい。
「このソフトウェアに言及する広告には必ずUCBがつくったということを明記せよ」「(再)頒布物に含まれるエンドユーザ向け文書には『これはXFree86 Projectによって開発された』云々という文言を載せろ」といういわゆる広告(宣伝)条項だが、両ライセンスの冒頭を見ればわかるように、そもそもこの要件を満たさない限り(再)頒布自体が認められていないというのがポイントだ。ゆえにこれらの条項は、プログラムの受領者による再頒布行為への実質的な制約として機能するので、今野さんも指摘されている通りGNU GPLの第6項と矛盾する。
よって、distribution と関係する可能性はあるが、 distribution が伴わない広告がありえるから独立していると考える余地があるというのはおかしいのではないか。distributionの前提が広告に件の文言を載せることなのだから。
そもそも広告しなければ頒布できる、という考え方もできそうだが、受領者が頒布する手足を縛ることになるには変わりないし、広告が打てないと頒布・流通にはマイナスなのは云うまでもない。ゆえに、この種の広告条項はやはりGNU GPLとは矛盾すると考えられる。
Before...
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